二極化の加速

とある海外サイトで一部の特別開拓者が来年1月から削減されるという記事が載ってからわずか1週間足らずで、日本でもリアル特開者のリストラ話がどんどん出てきている模様。

ローカル会館修繕用に貯めていた数百万のカネを一括でカツアゲされながら、修繕依頼を出しても「均等を図っているノダ」と音沙汰なし、通常経費の3ヶ月分を超えるカネの保持や、それを超える費用のかかる無断修繕はWT武家諸法度で禁じられているので、3ヶ月分貯めてはチマチマ小分けに修繕するしかない、という所もあるとか。もうこれ詐欺どころか末期症状じゃないか。

金を貯めてようにも3か月分超えると⇒も協会にかっさらわれるから、外壁塗装や内壁クロス張替を一面ずつ、つぎはぎしながら修繕する会館とか、笑える状況も現実味を帯びてきた。

最近のテレビ伝道による寄付懇願は次の一線を越えたと思います。コアな信者は防衛本能が動くので目先の寄付は多少集まっているかもしれません。

数年前から始まっている強制決議では全然足りないようだ。必要を知らせただけで、自分たちが過去に非難したテレビ伝道師の寄付懇願ではない、という子どもの言い訳じみた自己弁護。

確実に醒める(冷める)信者を生み出している。目先の寄付は集まるので数字しか見ない上層部は効果があると見るかもしれないが、いずれツケが回ってくるでしょう。コアな少数信者からの多額の寄付に依存する、二極化の加速。

秘密の懐事情が苦しくなる度に、寄付集めや懇願の手法が少しずつ露骨になる。いやらしいくらい徐々になので、思考停止信者はゆでガエルにされる。

あと10~20年したらひと昔前の統一教会みたいになってるかもしれない。つまり日本を含む先進国では拡大路線を捨て、もう何があっても絶対についてくるコアな信者団から露骨に搾り取るだけ搾り取ろうという転換。以前の記事のコメント欄で動画を紹介してもらったことがあります。

熱狂的に叫ぶ様は、醒めた自分でもイヤさすがにまだそこまではと思ってしまうが、JW強制決議で静かに無言に全員が操作された死人のように手を挙げる光景は、それはそれで異様に映る。何がどうなっても自分たちだけは他の団体とは絶対に違うというのは、外部の第三者にはもう通じない。


所有権についての考えを改メヨ!!

アパートも、クルマも、おカネも!!

みなさんのモノじゃない!!(そしてJWの王国会館も)


クリエイターとしての神を信じるなら、そりゃそうなんですけどね。

でも、ものみ協会や、統一教会のものでもないよね。

信者は我らの神に捧げよとハゲマされて“自発的に”寄付してるんだから、まあ同じか。
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損失の補填

最近のも搭だけでなく、も協会お手紙の必死さ加減も面白い。

強制決議の1発目として始まった「王国会館援助の取り決め」が「世界的な援助の取り決め」に変わったそうです。


⇒ 使途をもっとあいまいにしてどうすんだ


組織に影響を及ぼす「予見しえない出来事」による損失を防止したり、それに対する支払いをしたりするためのものです』

組織に影響を及ぼす損失の補填なら何でも使えるそうです。

エホバ様の御名をいたずらに持ち出せば泣き寝入りするとタカをくくっていた児童虐待の被害者が、組織の道義的責任を民事裁判で訴える、とは「予見しえない出来事」だったんでしょう。

まいたものをかりとりますよ、も協会の上層部さん。

『世界的な業への寄付から年ごとに資金が取り分けられ、会衆や他の神権的な団体に生じた損失が兄弟たちにとって過度の重荷になることがないようにします』

別枠で寄付を徴収することの言い訳なんでしょうが、それっぽく書いてあるように見せて、何が何の説明なんだかさっぱり分かりません。

本当に純粋に「自発的」な寄付なら、もともと何にでも使える「世界的な業」という寄付口があるんだから、それだけで十分なはずだよね。何でもかんでも「均等を図る」を持ち出せば正当化できる、盲従信者は納得するだろうと、彼らの知性をみくびっているとしか言いようがない。

でも現実に大抵の信者は納得しちゃうんですが。


それにしても「他の神権的な団体」とか、それに生じる損失て何ですか?

ものみの搭聖書冊子協会ニューヨーク法人様のことですか?

イギリスやオーストラリアのも協会関連法人様ですか?


なんか全体的に面白い文面です。

「もうすべてを正直に知らせるべきだ」という改革派と、「いやせめてこれくらいにしておけ」という保守派がせめぎあっているのかな?

首相に言わせる公式談話にどういう文言をいれるかを水面下でせめぎあう官僚たち。

もう統治体はただのお飾り、も協会の操り人形、マスコットキャラなのかな。

も協会が極度に熱して溶解し、その中の業が顕わにされる時は来るのか。

奴隷の束縛

今週の目立った点?です。

千年統治の期間中に自分の不完全な特性を捨て去るには、ある程度の時間が必要

WTが大好きな「不完全」です。どうしても罪=不完全にしたいようです。

不完全さを捨て去るにはある程度の時間が必要らしい。イメージとしては、WT教育(洗脳)を何百年と受講しながら、本人の捨て去ろうとする意識的努力と合わせて徐々に完全なる人間(何それ)なるものへ作り変えられる、という感じでしょうか。

でも聖書によれば、罪とは、どんな教育を受けようが、修練しようが、努力しようが、捨て去れないものです。だって罪とはかの実を食べるという行為に象徴される独立した自覚的意識そのもの、それが人間だもの。WTがイメージするように、罪を何かの遺伝工学的な欠陥(=不完全)と解釈してもいいけど、もうしそうなら、それが取り除かれることはその人の努力とは関係ないよね。

だから今努力しておけば、楽園ではもっと容易になるだろう、というのは意味不明。

ということで、よく分からないのはWTが言う「完全」の概念です。

新しい世での生活に役立つもう一つの特質は、人を許すことです

「完全な人間」て何ですかそれ。人を傷つけたり、不快にさせたり、許されることが必要な言動を一切しない人間のことですか(それは人間なのか)。それともどんなに傷けられたり、不快な言動をされたりしても、「完全に」許すことのできる人間ですか(自分も傷つける側になるが相手も“完全”だから許してもらえる)。

WTの公式見解はよく分かりませんが、彼らが言う罪とは主に対人的な相互認識における“間違い”や“失敗”(人を傷つける言動含む)であり、完全な人間とは自由な意志を持ちつつ、完全な洞察力があり、完全な自制心を持ち、完全な立ち振る舞いができる人間?なので、末端信者は前者をイメージしていると思われる。

だったらなんで許すことが必要なのかな。完全になるまでは、ということなのかもしれないが、だったら初めっからそう作ればいいじゃん、という話ですね。

他にもWT楽園が楽しみになる文面が満載です。

あまり好きではない仕事をするよう指示される

住みたい場所があっても、別の場所に行くよう指示される

新しい世でエホバ様が人類に対する要求を知らせる時にも、辛抱が必要


要求だの指示だの大変です、WT羅苦園。

『エホバに仕えるのは、最も幸福な生き方です。それは、ただ大患難を通過するために、ひたすら奴隷のように束縛された生活を送る、ということではありません』

あなた自身がそう言いました。

『わたしたちはエホバに仕えるよう造られており、そうするときにこの上ない喜びを味わいます』

最近のえげつなさを代表するフルスイングの文です。本当に「エホバなるもの=組織」ならこんな記事をわざわざ書く必要はないよね。どうやら、組織の切羽詰まったやりたい放題の指示に従うことに、喜びどころか奴隷のような束縛感や不快感を覚える信者が増えているようです。

終末的道徳論

飽きたのでしばらくスルーでしたが、ここ最近のも記事が面白い。
何が面白いかというと、その必死さ加減。

数々の腐敗や汚点を乗り越えてきた伝統的教会とは違い、「完全に近い」「唯一無二である真の」組織を謳って信者を強力にコントロールしてきた急進的小集団なので、その幻想が崩れると意外な脆さをさらけ出す可能性もあります。

ということで、今週のも記事。

「世界の状態は今以上に堕落してゆく」(6節)と悲観を煽る姿勢は変わらない。

でも彼らが期待する程、最近の世界情勢は悪くなってくれません。
そうならない言い訳らしきものが、次の7節です。

「そうした状況になれば、聖書に対して懐疑的な人でさえ、聖書予言が成就していることを認めざるを得ないでしょう・・ですから・・終わりが近いことを人々が認めざるを得なくなるほど極端に悪くはならないでしょう」

聖書に対して懐疑的な人が聖書予言の成就を認めるようになるのは、何かいけないことなのか。聖書に大半の人が認めない、と書いてある通りに認めてほしくないんでしょうか。ニネベが宣告通りに滅ぼされたなかったとふてくされ、神に戒められたのはヨナです。

サタンは大いなる怒りで暴れつつ、極端に悪くしないよう手加減するみたいです。または「滅びに至る広い道」という自分の宣言通りに人類を虐殺することに固執するイエス様は「あまりやりすぎるなよ、虐殺計画がバレるだろ」とサタンをけん制するのかな。

WTが終末予兆の平行記述とするヨハネ啓示6章では、「地の四分の一に対する権威が与えられ、長い剣と食糧不足と死の災厄で、それをコロスため」とあるんですけどね。愛する主の再臨を待ち焦がれるあまり、ローマ世界への憎悪と厭世観からヨハネ信者が少し言いすぎたのかもしれません。

年間数億人に投与され、その命を救っているというワクチンを開発してノーベル賞を受賞した大村氏は、聖書予言の成就を阻む不信心者か、「極端に悪くならない」ようバランスを取るための、光の使いを装う悪魔の手先か。

やや同意できる点はあります。

「終わりが、自分が生きている間には来ないと考えるのは、正しいことではありません」

それが「正しい」のかどうかは知りませんが、イエスの教えは終末的な道徳論とも呼ばれ、常に「終末が近い」ことを前提にしての教え、というのは間違っていません。

イエスの時代から1000年経とうが、2000年経とうが(今このへん)、3000年経とうが、神がいつ何時でも介入しうる、人は創造者の前に明日にでも(ルカ12章)言い開きが求められる、という命題を受容することで自らをへりくだらせ、律する教えです。目先の世界情勢が良くなる、悪くなる、でいちいち右往左往する教えではありません。

それは他者を脅す、他者に要求する、他者を裁くための終末思想ではなく、そのような姿勢は山上の垂訓で何度も非とされています。たとえ自分が対象でも、恐怖によって自分をコントロールし、心身や生活を削る宗教マゾヒズムでもありません。

常に緊急感を抱かせよ、という大義名分のもとに嘘のタイムリミットを塗り重ね、悲観を煽って自宗派の洗礼を受けない者は滅ぼされるという脅し吹聴は、聖書の神を貶める宣伝でしかない。

信仰とは

WTの模範解答 ⇒『信仰とは望んでいる事柄に対する保証された期待であり、見えない実体についての明白な論証です』(パウロ:新世界訳)

「保証」とか「論証」という単語はWTが大好きです。

『信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです』(新共同訳)

大分、雰囲気が違いますね。

パウロが書いたこの断片的な字句だけをもって、これこそ真正なる信仰の定義だ、とするのはキリスト教でも逐語霊感な人でしょうが一応、付き合ってみます。

保証された期待・・ヒュポスタシス(ギリシャ語)

⇒ WT洞察によると(所有の)権利を保証する商業文書に使われたとこともあるとか

明白な論証・・エレンコス(ギリシャ語)

⇒ 主に反駁・論駁する過程やその行為、問答のこと(らしい)

ということで、パウロの宣教には「ことば」そのものだったイエスとは違い、論証や論じ合いを好む特徴があります。たとえば、このブログでも書いた↓のような言説です。

『家はすべてだれかによって造られるのであり、すべてのものを造られたのは神です』

パウロがこれを「神の存在証明」として語ったのかは知りませんし、科学と論理学が飛躍的に発展した現代でこれを「神の存在証明」とするのはルール違反、というか穴だらけな訳ですが、こういう字句を好むWT信者は自分たちの信仰も確かな証拠や論理に基づいている、と思っています。

いつからをもってキリスト教神学の始まりとするかは意見が割れるようですが、自分はその礎を残したのはパウロだと思います。

論理や証明による「正しさ」を希求する神学は中世をピークに衰退し、ゲーデルさんがそれを(間接的に)終わらせたという人もいますが、WTは独自の原理解釈でそれを焼き直しています。

『あらゆる事柄に対する完全かつ自己矛盾のない説明となる、それ自体で完結している論理体系の探求は、必ず失敗に終わる』(理論物理学者ポール・デーヴィス:も塔6月号での引用)

↑を引用した執筆者は、自らのWT解釈がいずれ破たんする(もうしてるか)ことにもがっつりあてはまる、のに気づいていないのか、実は気づいてほしいのか。

エレンコス・・反駁や論駁に終始する解釈論争(それが神学初期~中世の歴史でもあるが)、それらの論争での勝利(と思い込める主張)がいまだに原理主義者の信仰の土台となっている。

「地球が丸い」という事実が信仰の対象にはなりえない(もう信仰の余地がない)ことは分かっていても、そのちょっぴり?前の段階、つまり、かなりの程度、確からしいと思える論拠や証拠があり、強い蓋然性があると自分がジャッジできる(たとえ多数意見を相手にしても自分は勝った、または正しい、と一方的に体感できる)状態、が彼らのかすかな信仰の余地なのです。

え、「正しい」から信じるんじゃないの?という視点しかないWT信者以外の人にとって、客観的合理性のこの時代、信仰とはどういう位置づけなんでしょうか。

続きます。

法人の資産

も協会はハルマゲ前のあるタイミングで、自組織への悪魔サタンの攻撃があるという理由で、各種のも協会関連法人が機能しなくなる事態を想定している。

も協会法人が所有管理する本部・支部施設との連絡がなくなる、巡回さんも来ない、JW.orgの看板を掲げる自前会館では集まれずに、数人、数十人単位で個人の家でひっそり集まる。

ま、それが本来のクリスチャンの集まり方だとは思いますけどね。原点回帰。

最低限の有り金を残し、ローカル会館維持のために貯めてきたはずの数百万円単位のカネを、も協会に一括送金するよう全会衆に指示する異様な、異常な事態。

本当にただの資金不足ならいいが、これでも足りなかったらどうするのかな。

寄付懇願キャラクター、レット君のテレビ伝道パフォーマンスにも限度はある。

仮に資金不足が本当でも、一棟あたり数億円かかる(かける)KHやRTOを建てるため、というアピールで“巨額の”資金を募り、建設/転売の自転車操業でしばらくはしのぐのだろう。

ハルマゲどうこう関係なく、主要先進国での寄付の目減りと、WT解釈の根本的欠陥・破綻の露呈、児童虐待隠蔽なんちゃらで、も協会という「法的な器」が機能しなくなる時は来るか。

彼ら自身が認めるようにその時が来ると仮定すると、面白いのは次の疑問。

「ある富んだ人の土地が豊かに産出しました。そこで彼は自分の中で論じはじめて言いました、『どうしようか。作物を集める場所がないのだ』。それで言いました、『こうしよう。わたしの倉を取り壊して、もっと大きいのを建て、そこにわたしの穀物と良い物をみんな集めるのだ。そして自分の魂にこう言おう。「魂よ、お前にはたくさんの良い物が何年分もためてある。楽にして、食べて、飲んで、楽しめ」』。しかし神は彼に言われました、『道理をわきまえない者よ、今夜、あなたの魂は求められる。そうしたら、あなたの蓄えた物はだれのものになるのか』。 自分のために宝をためても、神に対して富んでいない者はこうなるのです」(ルカ12章:新世界訳)

⇒ あるキリスト教原理組織が豊かに産出しました。そこで組織の偉い人たちは会議室の中で論じはじめて言いました、「どうしようか。これ以上資金を集める口実がないのだ」。それで言いました。「こうしよう。ブルックリン本部を売っぱらって、ウォーウィックにもっと大きいのを建て、土地価格や建設コストの高い地域にKHやRTOも建てることにしよう。その口実でローカル会衆のカネをみんな集めるのだ。後でまた転売できる優良物件にもなるからね。そして自分の魂にこう言おう。『魂よ、この組織には何年もやっていける資産がためてある。楽にして、両腕が体につかなくなるくらい、食べて、飲んで、深く考えずに楽しめ』」。

そのも協会が一夜にして(それはさすがにないと思うが)機能しなくなり、WTに時々のる写真のように、信者が個人の家で集まらざるをえなくなる、という原点回帰が生じたとき・・

彼らの蓄えた資産はだれのものになるのか。

そこまで計算に入れて、この原理系団体を駒の一つとして“用いて”きた人たちが裏で展開を考えているとしたらオモシロイ。この団体は1914年という独自のウリで「豊かに産出した」が、今やそれが足枷になっている。かといってその枷を外せば集金力の低下はさらに著しいだろう。

米英の息がかかった地域ではがっつり守られてきたはずのキリスト教原理組織の一つ。
(明石順三氏もそこに疑問を持った)

そのはずが、主力英語圏での相次ぐ裁判、報道、オーストラリア王立委員会の調査・・

「悪魔サタンの攻撃」まで演出だとしたら・・信者には予言の成就、も協会が潰れても“組織”はやっぱり正しかったと思わせる予防線、そしてエホバの証人という神学上の集合体とは法的関係が一切ない各種法人資産はだれかのものになる・・このブログは陰謀論とは関係ありません

沈みゆく船

WTが好んで使うのは、「この世」はタイタニックのように沈みゆく船だ、というたとえ。

沈みゆく船に留まり、状況を改善しようとするのは無駄だという。

ハルマゲのタイムリミットを少しずつ、徐々に先延ばしにする解釈で、ウマの鼻先ニンジンのように「あと数年」で世の終わりが来る、という幻想を団体内で恒常的に維持している。

何度外そうが真実よりも、「常に緊急感を持て」とウマを鞭打つ方が重要らしい。

それはその通り。ウマが走るのをやめてしまう。不動産ビジネスも滞る。

ということで、医療の道を志しても、研究者や技術者の道を選んでも、何もかも無駄。

無駄どころか、レット君によるとゴミ箱に捨てたペットの糞尿みたいなものらしい。


ところが、どうやらタイタニックのような大きく安定しているかに(信者には)見えるこの組織の方が沈みゆく船の様相を呈してきた。

霊的セレブたちは豪華客船のラウンジにいるかのように優雅な社交を楽しんでいる。実情を知っているのは裏で船を操る上級船員だけだが、この船が沈むはずがない、というプライドもある。上客が下船してしまうような真実の情報は意地でも知らせない。

事情に薄々と気づき始めたクルーもいる。

船の根本的な欠陥や、それを認めも公表もしない上級船員たちの無能・無責任さに気づきながらも、何とか目の前にいる乗客のためと、必死に自分の持ち場で状況を改善しようとする。




洪水が来てすべてを流し去るまで気づかなかった世代をWTハルマゲに適用するが、沈まなければ醒めることがないのは大半のWT信者の方だろう。まあWT適用とは違い、も協会という船が沈んだところでリアルな生き死には関係がないので、それでいいのかもしれない。

数人、数十人単位でボートに乗る。あるいはたった一人で。

世界が滅びても沈まないノアの箱舟に乗ったからと、舵取りは上級船員にすべて任せ、自分たちは船のルールを守り、閉鎖空間のコミュニティーを楽しみ、クルーは持ち場で指示に従っていればいい、という見せかけの安心感はもうない。

行き先は自分で決め、自分で漕がなければボートは進まない。

主張する原因は異なるが、このような状況をも協会自身が想定している。

続きます。
プロフィール

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