逆戻り

①ノア、アブラハム、イサク、ヤコブ、モーセは祭壇を築きました

②イスラエル人はエホバの指示により、幕屋を建てました

③後には、エホバを崇拝するための神殿を建設しました

④バビロン捕囚から戻った後、ユダヤ人は会堂で定期的に集まりました

⑤初期クリスチャンは、会衆の成員の家で集まり合いました

⑥今日、エホバの民は世界中の幾万もの王国会館に集まって、エホバに崇拝を捧げます



あれ?ユダヤ人に逆戻りしてますね。

何よりも、初期クリスチャンなるものを忠実に模倣するのがエホバの証人さんでは・・

『あなた方が、この山でも、エルサレムでもないところで父を崇拝する時が来ようとしています・・それは今なのです』(イエス)
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学校の行方

年次総会前に目玉の発表が背教系サイトでリークされているという末期症状。

内容を前提にしての適当な感想↓


平日夜の集会出席者数が下げ止まらずに大変なんですね


↑の一因は、週3回の集会を2回に減らしたことでしょう。

「集まり合うことをやめたりしないように」(新世界訳)

聖書にも週何回とは書いていないのに、週3日で5つの集会を「休まない」ことが神の命令である!として、家族の反発や職場の迷惑お構いなしに半ば強制していた。

それが「信仰(何への?)の試練」としておきながら、週2日に“調整”してしまった。

あれ?そう言えば週何回とは聖書に書いてないよね、上の人のさじ加減次第なの?

だったら、いっそ週1回、日曜日だけでもよくないの?

・・という普通のことに気づかれてしまったのでしょう。

その教訓からか、今回は時短せずに全面リニューアル!で目新しさを出したい模様。

半世紀以上も続いた「学校」の名称まで捨てて、新・統治体のアピールですか。集会の名称を変えるだけだとしても、その中のたった15分でプレゼンする人のリストとして残るだけなら、もう学校としての体をなさなくなるような。

独裁システムの世代交代は、完全踏襲か、目新しい新規路線を次々アピール。

ラザフォードがそうだったように、世襲ではない新・統治体様は後者を選ぶのか。

3つの割当⇒ 3つのプレゼン(実演)なので、そこは変わらないのかもしれないが、言葉の響きとしては割当=義務的な語感をやめている。これまでの奉仕会プレゼンと役割を兼ねるのか、しかも月一のビデオ教材入りだから、毎週くだらない形式的実演に使役されていた開拓者や古参信者の負担軽減は間違いない。

それにしても「クリスチャンとして生きる(生活する)」のプログラムて・・

小中学校で言うと、道徳のお時間ですか。

さらに王国宣教をやめての、「ワークブック」・・

もしかして、そういうの込みでの学校ごっこなのか。

ポルノは見ちゃだめ、みたいなのはも塔でなくこっちでやるのかも。

以前の記事に書きましたが、ほぼ初めて集会に来たある御主人様が、その日のも記事がポルノ特集でげんなりしてましたからね。

こんな“調整”に付き合わされる大人信者たち・・ますます出席数さがらないのかな。

受容する神

神を免責する説明を考えるにしても、自らの正当性と、悪魔に支配される人間の愚かさを証明するために放置して、これくらいで「まあ証明されたね」とタイムリミットまで自分で決めて、その解釈を支持しない70億人を大虐殺して一方的に判例にするWT神も、なかなかアグレッシブだ。

WT主権なんちゃらは旧約側のヤハウェ絶対信仰や、その預言者たちによる不信心者や他神崇拝者への強烈な裁きと滅びの宣告に拠る所が大きいが、新約では他者を滅ぼして自己の正当性や優越性を証明することに腐心する器の小さい神ではなく、他者の身代わりになって自分への非難も甘んじて受容する神が読み取れる。

『この方は、自分の前に置かれた喜びのために、恥を物とも思わず苦しみの杭に耐え、神のみ座の右に座られたのです。そうです、罪人たちの、自らの益に反するそうした逆らいのことばを耐え忍んだ方のことを深く考えなさい』

キリストの磔に、いわれのない非難や逆らいのことばさえも甘んじて受ける「神を見る」クリスチャンもいる。神(のモノゲネース)が、かの実を食べて神のようになったヒトを生かし、彼らに世界を委ねたことで生じる「全世界」の業と罪を背負い、罪人たちからの非難や逆らいのことばという恥さえ耐え忍んで息絶えたことに、人智を超える救いを見る。

他者の罪までも背負い、いわれのない非難にさえ甘んじて、死に至るまで受け尽くす。

十字架の死(新共同訳)・・自己の正当化と救いではなく、罪と非難を背負う死に至る道。

キリスト教は「正しい」宗教だから入らせる、という前提がもう違うような。

自分たちの罪さえ背負えず、認めることもできない宗教指導者もいるようです。

いわれのない非難どころか、まっとうな批判にさえ強弁する。


エホバの証人は子どもが輸血を受けることを拒否して見殺しにしている
            ↓
エホバの証人は子どもが治療を受けることを拒否している、というのは馬鹿げた嘘だ
→エホバの証人は医療を拒否していない

エホバの証人が児童虐待を隠蔽した道義的責任で訴えられていると報道されている
            ↓
エホバの証人が児童虐待を大目に見ているという背教者の主張は馬鹿げた嘘だ
→エホバの証人は児童虐待を非とする印刷物を発行してきた(問題はそこじゃなく、その表向きの主張に違えてこっそり扱ってきたことを暴露されているのに)

エホバの証人は排斥忌避教義で人間・家族関係を破壊している
            ↓
エホバの証人ではなくなった人を避けているというのは馬鹿げた嘘だ
→エホバの証人は集会や布教に来なくなった人を“援助”している


いつから、こんな気持ちの悪い論点ずらしに終始する宗教になったのかは分かりませんが、最近の公式見解は身内の不祥事や奇妙な解釈への批判に対して、あからさまな偽りや嘘にはならないギリギリのラインでの言葉のチョイスや印象操作で勝負していると感じてしまう。

そんな資格のある人間がいるのかどうかは知らないが、少なくとも、自分が指導する団体の信者が犯した間違いや罪さえ背負えない、自己弁護に終始して姑息に責任回避する教団指導者が、神の主権の正当性なるものを代弁できる資格があるのかを考えた方がよさそうです。

悪の存在理由

神が自らの正当性と、悪魔に支配される人間の邪悪さと愚かさを証明するために放置しているというWT宇宙主権論争説。

聖書は答案集や教科書のような公理集ではないので、「悪が存在するのはなぜか」という問いに、万人が読んで意見が割れない唯一の正答はないようです(決定できない)。そもそも善悪の知は選択的に取得したという設定なんだから、選択しかできませんわな。

キリスト教ではアウグスティヌス以来の、悪を「善の欠如」とする考えや、それの延長?とも言えるのか、神の選択的制限による「神の不在」「神の沈黙」という考えがあるようです。

でも自分には「神を免責する」という発想自体がしっくりきません。

人に免責される神・・人間に理由を考えてもらい、それを上手に説明する人に教わることで「やっぱりあなたは全善なる神様なんですね」と拝んでもらえる神って・・神なのかな。

キリスト教ではそれなりの“説明”はあっても、悪の存在理由は中心の教義ではないようです。聖書も、イエスもパウロもその論題を重要なものとして扱っていないので当然ですが。

そこが「分からない」と神やキリストを信じることができない、という前提がない(はず)。

でもそれも人によりけりで、どうしても「説明したい」「分かりたい」という人もいるので、そこをつついて独自の解釈で「結論が出た」と客寄せするのがWT宇宙主権論争説で、キリスト教の本質とはさほど関係のない所で、なぜかその教理がものすごく重要になっている。


話は変わりますが、Mormon.orgでの信者の書き込み・・布教するのはなぜか

『みなさんもおいしいラーメン屋さんを見つけたら人に教えたくなるでしょう?それと同じなんです!』

この答えには好感が持てた。そのうち追従するかもしれないが、宗教探しをラーメン屋選びに例えるのは今のWT的にはアウトだろうが、宗教宗派の教義解釈の白黒や優劣など、そのレベルでおおらかに捉えるくらいが荒れることなく意見をぶつけ合えると思う。

ラーメンの好みや店の評価の違いで人は死なない。排斥忌避しない。罵り合わない。家族崩壊しない。「このラーメン屋さんこそ結論だ」という自分のジャッジ=選択は「正しい」のか?ラーメンという類に対する客観的認識(真理)は実在するのか?この世のどこかに「真のラーメン」は存在するのか?・・と心を病まない。

WTが「悪の存在理由に結論が出ました」と言えば、まあ反証はできない。

これが唯一の正答でなければ他の答えを提示せよと言われても、現実にそんな人はいないと思うが例えて言うなら、自称日本一のラーメン屋の店主が「ウチのラーメンが結論じゃないなら、どの店かを提示しろ!」と勝手に吠えてるようなものだ。

そんなの知らんし、いろんな好みに合うラーメン屋があっていいんでないの。

それも本人が言うなら反証はできないが、同業者からは勝手に言ってね、ということになる。

ただ、これは“ラーメン”だという大抵の人に共通するおおまかな認識は“ある”と思う。

ここで認識論か実在論かに立ち入るつもりもないですが、1~2年ばかり読み漁った程度の感想としては、キリスト教縛りの西洋哲学はそのレベルで読むくらいが面白い。客観的真理とは何か、そもそも存在するのか、いや主体的真理こそ信仰だとか、突き詰めすぎると精神衛生上よくないと思います。

スープ、麺、具の三位一体(笑)・・「ラーメン」という“類”ではなくなるライン。

「キリスト教」ではなくなるとされるラインもあるにはあるが、細かな教義解釈の白黒も含めてそれくらいのおおらかさがあっていいと思う。

そのおおらかさとは対照的に、「唯一の結論、唯一正しい宗教」という大仰な自己言及看板が錆びつき始めた某団体・・そんな店に入る気が失せるだけでなく、通うのをやめる人も増えている。

F.W.F

覚醒した人たちにはもうどーでもよくなっているでしょうが・・

9月マンスリービデオの「世代」のお話。解釈説明担当のスプレーン氏。

フレデリック・フランズを重なる世代のターニングポイントとするのはまあ予想通りです。

彼が「第1グループ」の最後のアブラ者とは断定できないと言ってますが、大丈夫です。1975年からの得意技で、断定しなくても強く匂わせれば信者が勝手に断定してくれますから。断定しなかった統治体の皆様に一切の責任はありませんよ。

「生涯が重なっていればOK」から「アブラ注がれた期間も重なってなきゃだめ」という“微調整”が理解されていないのか、F.W.Fと略して表まで作って、一応は?マークを入れて「断定してません」て・・何だそれ。?マークであいまいにするならわざわざ作るのやめてください。

ただ予想外なのは、第2グループに属する人たちもかなりの高齢になっている、と匂わせることでサンダーソン君は外しにかかると思いきや、スプレーン氏は「現統治体のメンバーはすべて第2グループに入っている」と、そこは断定している。

あ、そこも自己申告なんですね。

でもサンダーソン君て、そんなに高齢かな。

統治体メンバーはアブラ者というだけでなく、第2グループまでの期間限定でなければならない、という新解釈でも作りましたか。

教育水準が高い先進国では、もう無理だって、こんなの。

そんな、考える人の稚拙なアイデアでどうにでもなる、どうでもいい話。

RTO

民間の翻訳会社は事務所なんかにカネをかけない。

在宅の翻訳者を使えば済むケースも多い。

翻訳者によってバラツキが出ないようデータベースの共有を計り、本社チェッカーが校正する。

だから本社ならともかく、ただの遠隔事務所にカネをかけるなど、普通はしない。

WTが手掛ける言語は民間翻訳会社がまず扱わないであろうマイナー言語だから、翻訳者を現地(遠隔地)に置くという考えはまあいいとして、ただ、その名目で数億円もかけるオフィスをあちこちに建設する必要があるのかは疑問です。

看板を掲げる有形オフィスが営業拠点として宣伝効果になる場合もあるが、数台のPCが置ける一部屋あれば済むであろうただの翻訳事務所に数億円かかることもあるとかね・・翻訳者たちの世話人まで雇い、世話人の居住スペースまで含めたコスト設計でもしてるのか。KH含む建物にJW.orgのロゴを掲げさせるあたり、組織のビジネス化と偶像化が止まらない。

コスト削減と称して小さな支部を閉鎖(売り払った、てことでしょ)して、代わりにRTOを170棟!くらい建てるからと巨額の寄付を懇願する。いずれまたやっぱり合理化しますねとRTOを転売したら、今度はどんな名目の施設を建て始めるんでしょうか。

も協会の建設ビジネスは公共事業に似ている。

受注する民間側は利益確保のため、とにかくコストを削る。

発注する側は予算確保のため、とにかくコストをかけ、それが無駄ではないように装う。

これだけのコストがかかった(かけた)、だからこれくらいは必要だ、という実績で予算を請求する。いっぱい予算を取れれば自組織や、その組織内での立ち位置や評価にもつながる。

最近のも協会がテレビ伝道で寄付を懇願する口実も似たようなものだ。

建設!建設!とにかく建設が必要なのです!

さらに彼らの専属請負業者はコストのかからない自前ボランティア。

技術を持つ人間をタダ働きさせる、予算確保と利益確保が両立する見事なシステム。

その対価は賃金ではなく、トッケンエクスタシー。

も協会法人の優良物件となる上物の建設に、汗を流している。

ものみの王国の誉れある公共事業、ということだろう。

「この世」では、新国立競技場建設のようにカネのかけすぎだと、たまに潰されて見直される自浄作用もあるが、反対の声が上がることのない彼らの王国の公共建設事業に歯止めはかからない。そもそも何にいくら使ってるのか公表しない。

宗教界では、カネをかけた豪華な建造物ほど繁栄の象徴だと、逆に信者から賛美される。

旧約的全能神の栄光を讃えるソロモンの神殿建設に、カネのかけすぎという視点はない。

それって、大いなるバビロンの特徴だと昔は非難してたような・・

印刷ビジネス時代は、億単位の巨大輪転機を誇っていた。

これからは建設(不動産)ビジネスに本腰を入れるようだ。

進歩の恩恵

読み方次第でどうにでもなるが、実を食べたことによる代償として事後に語られているのは、地の呪いと、他の動物より増された妊娠の苦痛と思います。事前宣告の「食べる日に死ぬ」は執行されなかった。新約の原罪思想を採らない(はずの)ユダヤ教はこれを24時間の1日以外はありえない ⇒ 宣告の撤回とするらしいが、WTもようやく、アダムは日が昇って暮れる1日と受け取ったであろうと認めた。アダムがそう受け取る言い方をした時点で事実上の撤回だよね。

塵だからやがて塵に還る存在なのは、他の動物には告げる必要がなかった、善悪の知を得て似姿だけでなく自覚的にも神のようになったヒトへの事実通告なら・・メメントモリの始まりなのか。設定的にも「定めのない時まで生きてしまう」という命の木を生えさせる意味がない。

そうすると、神のようになったヒトは着実に進歩している気がします。

ただの仮定(設定)の話で、現実にそうなる可能性があったかは知らないが、もし善悪の知がなければの動物のまま食うか食われるかの世界・・知能と食物連鎖の頂点に立つ存在として地を従え、縄張り争いとメスを寝取ってハーレム三昧・・そこに善も悪もない。寄生バチの幼虫が宿主を食い尽くしてもどっちが善も悪もないのと同じように。

だから悪があるのはなぜかと問う以前に、相対的な(神に相対する)善悪の知・・いや、どうしてもその大好きな、聖書には出てこない便利な単語を使いたいなら言ってもいいよ・・不完全な善悪の知が神学的には罪だとしても、何かを悪と認識するようになったことが抑制になっている。

カインはむかつかいただけでアベルをいきなり撲殺している。この寓話にも象徴的な意味を求めてモダンな「霊的考察」をする人もいるが、寿命も長いしまだ「完全」に近かった?・・というWT設定にしてはバイオレントです。むかついただけで人を殺す事件は今でもあるが、それを悪い行為と認識し、義憤を感じ、嘆き悲しむ。犯罪者は刑罰を受ける。

善悪を認識する(知る)ようになったその「初め」からはかなりの進歩です。

途中、その抑制がほぼきかなくなって1回リセットされたという話だが、その時代(それが史的に起きた時代なのか、その伝承が書かれた時代なのか、という二択論争は別にどっちでもいい)よりも社会は進歩していて、自分は今日、誰かに撲殺されると、そこまで心配せず生活できる(可能性としてはゼロではないが)。

自分の家族や友人が殺人の犠牲になったことがないから、治安のいい先進国にいるから、こんなこと涼しげに書けるのは認めますが、それはそれで社会構造や人の良識の紛れもない進歩から自分が受けている恩恵だと素直に認めることにも抵抗はないです。

今の日本や世界が理想的と言うには程遠いとしても、恩恵は受けるだけ受け、その恩恵があるから生涯アルバイト生活でも公営住宅に住んで生活保護一歩手前の生計(WT推奨)は立てられる、治安もいい、信教の自由含む人権への考えも進歩している国ではぬくぬくと牛歩布教もできる、年金を1円も払わなくても半額受給できる、あらゆる恩恵を受けながら宗教活動に没頭していざ生活に困ると「サタンの不公正で邪悪な世の試練」というのもどうなのかな。

聖書て、そんな自己中精神を教える本ですか。

偏った字句の使い回し方によってはそういう本にもなるという見本がWT解釈。

神がそんな世界をもう1回リセットするのか、それともニネベの宣告を撤回したように、聖書の教訓的寓話もメッセージの1つとしてさらなる進歩を願っているのか、神じゃないので知りませんが、人の良識、技術、知識、社会構造の進歩を願い、そのためにごくごく小さな貢献をすることが信仰に背を向けているとかペットの糞尿だとか、イエスの教えなんですかね。

その願いは信じる人も信じない人も同じなんじゃないかと。

それを踏まえた上で神が深く愛する世に貢献する選択肢の一つとして、自分はパウロのように福音のみに生きる、というなら普通に尊重されると思いますけどね。

パウロという類稀ないちクリスチャンの生涯を、同じ生き方をしない人を断罪するのに利用する、子どもには選択肢を与えない、進学も部活動もクズだの糞尿だのと許さない、別の選択をすれば尊重しない、辞め方によっては親子の縁を切らせるような教義で統制するから批判されるんじゃないかな。

みんな草食

創造説話の中で、個人的には一番?字句通りの解釈がキツイと思う箇所。

『また地のすべての獣、空のすべての鳥、地を這うすべてのもの、すなわち命あるものには、食物としてすべての青草を与える』

人間に肉食が許されたのは洪水後という話はまあいいとして、洪水後に新たにクリエイトされたのでもない、種として保存された(という設定の)動物さえもみんな草食だったという話。

これはさすがにきびしい。

全能神を想定するなら6日間創造の方がまだ信じる余地はあると思う(ないかな)。

肉食か草食かというと、当時の人は単純に、猛獣や猛禽類が獲物を捕食する光景を思い浮かべたかもしれないが、それだけではない。

寄生バチの幼虫が宿主を内側からグロテスクに食い尽くすのも人間が罪を犯したからか。

自然とは、一見すると残酷な弱肉強食に思える見事なバランスの上に成り立つ生態系です。

だからこの記述を肉的(字義的)に解釈するのは「無理がある」。

数千年とか数十億年前にどうだったかではなく、今現実に、その自然に生きている。

洪水説話でも人間の堕落のために、最低限のつがいを除き動物も殺されている(という話)。

動物は人間に付随して支配される側という観点しかないのはこの時代の限界かと。

それは人の限界なので、当時の限られた知見で書かれた、限られた知見しか持たない人を対象に書かれた、キリスト教的にはそれほど重視されない箇所を巡って、そこで描かれている(ように見える)神が残酷で、短絡的だと言われてしまうのは、聖書の原理的解釈に固執するWT協会のような団体が負う責もあると思います。

肉食の起源がどうとか、キリスト教ではかなりどうでもいい話なので、聖書を科学や生物学の土俵でまともに議論する人もWT関係者を除けばあまりいないと思われるが、日本人がまずWT解釈に触れてしまうと、聖書を頑なに字句通り信じ込むか、そんな馬鹿な話があるかと、聖書を同じように字句的に攻撃するかに二分されてしまうケースが多い。

攻撃するか擁護するかのささいな?違いだけで字句へのこだわり方は共通している。

「宗教とは絶対依存の感情である」と、あるキリスト教神学者も言っていますが、信じている側が宗教とはそういうものだと自覚している分には、それほど弊害はないようです。

この肉食問題のように、一般的な知見に反して何かを頑なに信じることが“悪い”とは言いませんが、それが羊とやぎの違いだ主張するのはちょっと違う気が。イエスも、宗教信条や旧約の史的解釈の正誤が裁きの根拠になるとは言っていない・・なのに何でいちいちこんな話を持ち出したのかというと、その前提で考えるとヒトは着実に進歩してきているんじゃないかと思えるからです。

異邦人の時

『また、エルサレムが野営を張った軍隊に囲まれるのを見たなら、その時、その荒廃が近づいたことを知りなさい。その時、ユダヤにいる者は山に逃げはじめなさい。都の中にいる者はそこを出なさい。田舎にいる者は都の中に入ってはなりません。 なぜなら、これは処断の日であり、それによって、書かれていることのすべてが成就するのです。 その日、妊娠している女と赤子に乳を飲ませている者にとっては災いになります! その土地に非常な窮乏が、そしてこの民に憤りが臨むからです。そして人々は剣の刃に倒れ、捕らわれとなってあらゆる国民の中へ引かれてゆくでしょう。そしてエルサレムは、諸国民の定められた時が満ちるまで、諸国民に踏みにじられるのです』

ルカはかなり具体的に書いています。

⇒ エルサレムが軍隊に囲まれる

⇒ そして人々が剣に倒れ、捕らわれとなって引かれていく

⇒ そしてエルサレムは、異邦人に踏みにじられる

ちょっと文脈と一緒に普通に読めば、その荒廃・・西暦70年の荒廃なんですが。

でもWT洞察には、異邦人の時の起点が西暦70年ではないことの複雑難解な説明が延々と綴られている。前にも書きましたが、この異邦人の時を旧約側の予言と絡めるのはキリスト教原理主義に共通する特徴というか名残のようで、現イスラエル国家とも利害がそこそこ一致する模様。


暗示探しブームとも言えそうな、19世紀アメリカの2520年騒動(にもなっていないか)・・起点の取り方によって1843年やラッセルの1914年など、いろいろ言い出す人がいたがことごとく外れた。1874年の時もそうですが、外れたから「見えない再臨」にした、選ばれし者だけが認識できるのだ、なんて発想がもう裸の王様に出てくる詐欺師職人だよね・・

怪しげなラッセルとはもう一線を置きたいが、解釈上どうしても1914年は放棄できない事情に悩まされる某団体は、「外してなどいない」と100周年記念!を声高に叫ぶ開き直りっぷり。

イエスは自分の言葉を、年代計算に使える秘められた暗示として語ったのか。

だとしたらイエスて、けっこう教え下手なのかな。もっとはっきり言えばいいのに。

それとも救われる道は狭き門、という教えのためにわざと分かりにくくしてるのか。

あまりたくさんの人に見つけられても困る、そんなに救いたくない、みたいに。

謎解きみたいでおもしろいですね!とか言わせる実演もあったが、聖書が謎解きの本とは知らなかった(そういう読み方に魅了される人もいまだに多いが)。何の脈絡もない聖書のあちこちの断片的な字句に暗示的な意味を付し、謎解きのように組み合わせてようやく出てくる1914年をはじき出せなかった全員を、天使総出で殺しにくるらしい。

WT聖書解釈パズル、制限時間内に解けないと罰ゲームはハルマゲで死刑ということか。


おや?イエスや聖書が明言していなければ、予型的な解釈は付さないんだよね・・
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