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特別集会

今回の特別集会で、統治体の人がこんなことを言っておられました。

日本のエホ証はここ10年で、増えるどころか数を減らしている訳ですが、その理由として、

① 海外に移動している人もいるし
② 死んでる人もいるし


だから、何も問題はないのですよ的なことをおっしゃってました。信者数は減っているのに、トータルの布教時間は増えてイルネ!みたいな、相変わらず数字がすべての苦しい褒め言葉もひねり出していました。

エホ証発行の年鑑を見ますと、日本でバプテスマ(洗礼)を受けてエホ証になる人が全くいない訳でもありません。全盛期の数分の一まで減ったとはいえ、毎年3000人近い人がエホ証になっています。なのに数を減らしている・・そんなに死んでるんでしょうか。海外からの出戻りも多いのに。

明らかに、活動を休止するエホ証がかなりいるはずですが、エホ証がそんな都合の悪い数を公表するはずもなく、統治体の人もネガティブな理由は決して口にしません。


今年の特別集会で日本向けの「出版物」がリリースされるかもしれない、という噂は知人から聞いていましたが、まさかの聖書のマタイ書をただ抜き出して、縦書きにしただけのものでした。

これまで、成長が停滞する日本向けの布教冊子がいくつも出されましたが、何をどう使えばいいのか信者が混乱するだけで効果ナシ、それでも今回は統治体の好き勝手な解釈や組織の自画自賛を押し売りするような「出版物」が出るよりマシだと思いますが、ネタ切れ感は否めないですね。

最近の日本のエホ証は、宗教とバレるとソッコーで断られるので、とにかく、聖書ってゆうな、隠せ、聖書使わずになんかメッセージカードみたいなものに書いて渡せ、とか必死に指導されているが、そこにネタ切れの統治体が意気揚々と日本専用に縦書きに戻してやったぜ?と持ってきたのが「聖書のマタイ福音書」ですからね。

アメリカでは逆に聖書だけを使って布教しろ、みたいな流れもあるとか。これがキリスト教原理主義のアメリカ白人と、にわかクリスチャンの日本人の感覚のズレでしょうか。信者は聖書を使っていいのか悪いのか、指導部の紆余曲折ぶりにますます混乱することでしょう。
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安心しました

今回の「奴隷級=統治体?」シリーズを含め、エホ証統治体のやり方を非難してきた訳ですが、こうまでさんざん書いておいてよく言うよ、と思われるかもしれませんが、自分はあまり他人を攻撃・非難することは好きではない小心者なので、これだけエホ証統治体を偽善者呼ばわりして大丈夫カナ?とちょっと不安になってきました。(エホ証上層部がこんなブログ見てないと思いますが・・)

・・でも、エホ証の過去の「出版物」をちょっぴり調べるだけで安心しました。

「一致を欠いたキリスト教世界の宗教組織は愛に関するおきてを破り,おびただしい量の血を流してきました。彼らは平和の使者ではなく,幾度も死の使いとなってきました」

すごいですね。自分たち以外のキリスト教は愛がなく「死の使い」ですか・・

「キリスト教世界は,同世界が崇拝すると主張する神の目に罪となる霊的姦淫を行なっています。ですからエホバは,キリスト教世界全体が滅びるように取り計らわれます」

今度は自分たち以外のキリスト教はすべて滅びる・・

その矛先はカトリックという特定の宗派にも向けられています。

「異端審問は,カトリック教会と意見を異にするすべての人を拷問にかけ根絶することを目的とした残忍な企てであり,教皇制度に源を発し,教皇制度によって支持されました」

「教皇は“不謬の”前任者たちを否認するよりも,福音を否認することを好んだ。前任者たちを否認すれば,教皇制度そのものの威信を傷つけることになるからである」(これは第三者の著述家の引用)

エホ証以外のキリスト教にも問題があるのは事実だと思いますが、完全な人間など1人もいないように、完全に聖書を理解・実践している団体など存在せず、それはエホ証も同じです。イエスも「一つ一つの宗教団体を」ではなく、「一人一人の人を」裁く、と言われました。

「自分が裁かれないために,人を裁くのをやめなさい。あなた方が裁いているその裁きであなた方も裁かれることになるからです」

ちなみに、カトリックへの2つはそっくりそのままエホ証統治体に返してあげましょう。

審理委員会による排斥は,統治体と意見を異にするすべての人を精神的な拷問にかけ根絶することを目的とした残忍な企てであり,統治体制度に源を発し,統治体制度によって支持されました」

統治体は“不謬の”前任者たちを否認するよりも,福音を否認することを好んだ。前任者たちを否認すれば,統治体制度そのものの威信を傷つけることになるからである」

ものみの塔2013年7月15日④

イエスがこの一連のたとえを語ったのはなぜか。

エホ証教材から、聖句を正しく理解することについて:

① 『そのためには,ただ目に留まる表現を選んで自分の考えを添えるというのではなく,文脈も考慮に入れなければなりません』


② 『聖句を誤用して,自分の言いたい事柄をその聖句が述べているように思わせることのないようにすべきです』

③ 『文脈を調べる。こう自問しましょう。「この聖句の言葉はだれに対して語られたものだろうか」

↑すばらしいご提案ですね。ではこのたとえ話もだれに語られたのか、文脈を調べてみましょう♪

『ずっと見張っていなさい。あなた方は、自分の主がどの日にくるかを知らないからです』

あなた方も用意のできていることを示しなさい。あなた方の思わぬ時刻に人の子は来るからです』

それゆえ、ずっと見張っていなさい。あなた方は、その日も時刻も知らないからです』


明らかに、イエスはこの一連のたとえ話を弟子たちに語りました。統治体が「忠実な奴隷」は自分たちだけのことだ、と強引に主張するならこの一連のたとえとその警告は統治体だけに語られたことになり、そうするとこれまで書いたようなつじつまの合わない点がいくらでも出てきます。

イエスの簡潔な言葉をありのままに読めば、自分の到来を注意深く待つように、という教訓を示すために、当時の人々がだれでも理解できる身近な使用人の例えを用いたにすぎず、この3つのたとえ話に出てくる、「よこしまな奴隷」「愚かな処女」「邪悪で不精な奴隷」にならないようすべての弟子・クリスチャンに語られたシンプルな教訓、と捉える方が自然ではないでしょうか。

『召使いの上に任命される』とか『時に応じて食物を与える』とか、自分たちの宗教権威に利用できそうな、『ただ目に留まる表現を選んで自分の考え(=アイデア)を添える』ことはやめましょう。自分の言いたい事柄をその聖句が述べているように思わせることになるそうですよ。

「では、固い決意を持って、忠実で思慮深い奴隷を構成する油そそがれた兄弟たちを忠節に支持しましょう」

自分たちだけは「忠実な奴隷」であると自己言及し、その自分たちに固い決意を持って忠節であるよう命令しているのです。一連の記事の目的がこの一言に集約されている、と言っていいでしょう。ふさわしい結論、合格です。

輸血拒否のニュース

こんなテンプレ丸出しのブログですが、昨日のアクセス数が飛躍的に増えていました。

原因はこれですね⇒『「エホバの証人」信者の家族が輸血拒否・死亡・・青森県立病院』

ここには「エホバの証人」「ブログ」で来る方が多いようなので、エホ証関係者がどう反応しているか、大勢の人がネットを駆け巡っていたようです。

輸血についてはシリーズで書いたのでもう特に書くこともないのですが、今回ケースのように、病院側が一番恐れているのは不測の緊急事態が生じた時だと思います。

「手術中に出血が止まらなくなり、病院側が説得したが、息子は応じなかった。手術は打ち切られ、女性は同日夜、死亡した」

手術中に出血が止まらなくなった原因は分かりませんが、あくまで一般的なケースとして、大抵の手術に100%はなく、不測の事態が生じる可能性はゼロではないと思います。もちろん今回のケースがそうだという訳ではないが、人間がする以上、人為的なミスでその事態が生じることもあるでしょう。

不測の緊急事態が生じた時でも救命措置としての輸血さえできない・・これが病院側がエホ証をイヤがる大きな理由の一つだと思います。

エホ証発行のDVDでは「最近の医療技術はこんなに進歩してるんですよ♪こんな手術も輸血なしでできるんですよ♪」と嬉々として、相変わらずの成功例だけを取り上げます。

では医療や医師の技術が進歩して輸血なしで成功する確率が上がれば、手術しやすくなるのでしょうか。そこを自分のことしか考えていないエホ証は大きく勘違いしていると思います。仮に輸血なしで成功する確率が99.9%になったとしても、不測の事態が生じる確率はゼロではなく、それが生じた時、その同じ確率でもって病院側の責任とみなされることにもなりかねません。どんな場合でも病院には責任を問わないと誓約しても、救命できなかった医師の良心は痛み、医師としてのキャリアが傷つくことさえあるでしょう。

エホ証はいつも自分たちが第一のわがまま宗教です。「信教の自由は保障されるべき」「患者の意思が尊重されるべき」・・それ自体は間違ってはいないが、エホ証は自分たちに都合のいい所だけ正論を振りかざします。毎度おなじみの成功例だけでなく、今回の件もきっちりと真摯に受け止め、病院や医師が背負うことになるリスクやプレッシャーについてもっと考える姿勢を見せるべきだと思います。

ものみの塔2013年7月15日③

今回の“調整”で忠実な奴隷がエホ証統治体だけだというなら、当然出てくる別のツッコミどころ。

「主人は彼(=忠実な奴隷)を任命してすべてのものをつかさどらせる」

統治体はこの部分を、イエスと共に天で支配する権威を授けられる、と解釈しています。それもどうかと思いますが、一応その解釈に付き合ってみると、その権威は統治体だけに与えられることになってしまいます。

しかし、非常に分かりにくいことに、統治体はこの部分は自分たちだけではない、と言います。聖書巻末の啓示の書では、天で支配するのは14万4千人と書かれていて、統治体はこれを文字通りの数と解釈しているので、それと矛盾してしまうからです。

それに対する、統治体の苦し紛れのつじつま合わせは、以下の一文です。

「少人数の一団に約束された報いが、最終的に他の人にも与えられる場合があります」

例によって「そういう場合もあるから☆」という、もう“根拠”というより、好き勝手なことをどうとでも言えてしまう言い回しですが・・

しかし、そんな例外があてはまらないことをイエスの言葉がはっきりと示しています。

「主人が到着して、そうしているところをみるならば、その奴隷は幸いです」

この約束には、はっきりと条件が指定されています。そうしている(=召使いたちに食物を与えている)ところをイエスがみるなら、と書いていないでしょうか。

今回の解釈で、エホ証統治体は仲間であるはずの天への召しを受けた信者を「召使」に降格しました。事実上「お前たちはもう『奴隷』ではなく『召使』だ。この仕事はオレたちだけのものだ」と言っていることになります。自分たちの解釈通りにイエスが来なかったために、仲間の奴隷を打ちたたくよこしまな奴隷のようです。

仮にこのたとえ話が、信者に「霊的食物」を与えることであり、「そうしている」のがエホ証統治体だけである、と主張するなら、どうして他の信者が主人であるイエスから「よくやった!」と言われることがあるのでしょうか。

ものみの塔2013年7月15日②

エホ証統治体が自分たちの宗教権威の“根拠”としてここ何十年も主張してきたのは、使徒15章のエルサレム会議の1点張り、しかも、それも信者の寄付を巻き上げて生活していた権力集団では決してなく、聖書に1回だけ記録されている臨時の会合にすぎないものです。さすがにもうそれだけでは心もとないと思ったのか、今回ようやく新たな“根拠”を使って来ました。かなり時間をかけて考えて探したのでしょう。それはなんと・・!

イエスが奇跡で数千人に食事をさせたとき、少数の弟子たちにパンを配らせました♪という話・・

・・統治体と取り巻きのみなさんが密室会議で何年も考えてこれくらいの事しか見つからなかったのでしょうか。それもそのはず、聖書には少数の人間が他の信者に宗教権力を振ってもいいなど、書いていないので。

あまりにくだらない根拠ですが、一応当たり前の反応として「弟子たちは配っただけじゃないですか?」と言いたくなります。パンを製造・生産した訳ではありません。パンを配っただけのくせに偉そうに「自分たちの働きに感謝するように」とか「自分たちを忠節に支持するように」とも言っていません。

自分たちが書いた印刷物がイエス様からのものです♪と主張するのは勝手ですが、この話はその“根拠”になどなり得ません。弟子たちがイエスのいない時に群衆からの支持と服従を取りつけようとして自分たちでパンを作り、「前にも同じようなことがあったでしょ?だからこれもイエス様からのものだ!」と主張して配るのと同じです。

飢えた群衆のためにパンを作り、与えるだけなら純粋に褒められる行為ですが、それをイエス様からのもの!と勝手に主張し群衆の上に立とうとするならそれは間違いなく冒涜的行為です。

十万歩くらい譲ってエホ証の印刷物を“霊的食物”とするとして、弟子たちはそれを配っただけなので、この話を無理やり今のエホ証に適用するというなら、会衆で雑誌をオバチャンたちに配っている雑誌係の信者も『奴隷級』になります。あと、非信者のトラックの運転手も奴隷級になっちゃうんでしょうか♪

数千人に奇跡で食事をさせた、というこの聖書の話は、イエスの憐みと奇跡を行う力を示すもので、弟子たちがパンを配ったというくだりははっきり言ってどうでもいいのですが、イエスを差し置いて、配った弟子たちの方に強引に注目させてそれを自分たちの宗教権威にこじつけるあたりが必死すぎてイタイです。

17ページの挿絵では「多くの人が養われた」という説明と共に、パンを配る弟子がどアップになっていて、まるで弟子たちが群衆を養っているかのようです。もはや奇跡を行いそのパンを生み出したはずのイエス様はどこにもいません。イエス様もびっくりですね。

ものみの塔2013年7月15日①

ものみの塔7月15日号がアップされていました。

先日このブログでも書いた公式ページでの解釈変更についての正式な記事ですね。

しかしこの一連の記事、ツッコミどころ満載のものみの塔も今となっては面白半分にかなりの量を読みこなしてきたつもりですが・・

☆ちょっと何を言っているのかよく分かりませんでした☆

でも、結局のところ、本音はこうだと思います。

「『1914年から1世代で終末論』が思いっきり外れたので、統治体の世代交代のために『油そそがれた信者』の募集は終わっていなかった、っていうことにしたら、平信徒までパン食べ始めて収拾つかなくなってきたから、『奴隷級』はパン食べた人全員じゃなくて統治体のオレたちだけってことにしようぜ、ということになりました☆」

つまりは、結論ありきの、形だけの“聖書的根拠”探しですね。

内容自体は↑だけの薄っぺらいものですが、本音や矛盾点を隠し、薄い内容をできるだけ高度に見せかけるために、言葉を多くして関係のない論点もごちゃまぜにして複雑にし、もともとややこしくて分かりにくい解釈をさらにわざと分かりにくくして、「内容は自分たち下々の者には高度すぎてよく分からないが統治体様がこれほどの記事を出したのだから、とにかく奴隷級=統治体で間違いナシ!」と自らに従順な信者を教化しようとしているような印象を受けます。自分がこのブログを書き始めるキッカケとなった「とにかくエルサレム滅亡=BC607年で間違いナシ!」シリーズの記事と似ていますね。

エホ証教材から、分かりやすく教えることについて:

「簡潔な言葉,簡潔な表現法。簡潔な言葉と短い文は,意思伝達の強力な道具です。イエスの山上の垂訓は,どこに住むどんな人にも理解できる,最高の手本となる話です。(中略)どうすれば簡潔に表現できるでしょうか。細かい点を必要以上に取り上げて聴衆を困惑させてはなりません。資料をよく整理して,要点が明確になるようにしてください」

・・せっかくのイエスの明快で、誰にでも分かりやすい教訓的なたとえ話を、自分たちに都合のよい「預言的解釈」を持たせるためにこれでもか、というくらい複雑で分かりにくくしていますね。

一応、いくつかのツッコミどころについて書いていく予定です。

この書物は信頼できますか

「この書物は信頼できますか」・・これはものみの塔が聖書について投げかける質問。

彼らが聖書を信頼できる理由の1つとしてあげるのが、「率直さ」です。

「正直な歴史家であれば勝利だけでなく敗北を,成功だけでなく失敗を,強い所だけでなく弱い所をも記録するでしょう。そのような正直さを反映する世俗の歴史は少数にすぎません。(中略)対照的に聖書筆者は気持ちのよい正直さを示しました。イスラエルの指導者であったモーセは,兄のアロン,姉のミリアム,甥のナダブとアビフ,自分の民の落ち度だけでなく,自分自身の間違いをも率直に伝えています。このように率直で包み隠しのない伝え方は,真実に対する誠実な関心を物語っています。聖書筆者たちは自分の愛する家族,自分の民,さらには自らに関する不利な情報も伝えようとしているのですから,彼らの書いたものを信頼できる確かな理由があるのではないでしょうか」

・・「勝利だけでなく敗北を、成功だけでなく失敗を記録する気持ちのよい正直さ」

・・「自分の民の落ち度・自らに関する不利な情報も包み隠さず伝えようとする率直さ」

相変わらず文章そのものは非の打ちどころがないほど義にかなっていますが、実行していないところがパリサイチックですね。

・自分たちが「勝利」した裁判ばかりを載せるのはナゼデスカ?※
・性的虐待・児童虐待などの不祥事を公表せずに極秘に処理するのはナゼデスカ?
・外れた解釈を気持ちよく失敗と認めずに、巧妙に「調整」してゴマかすのはナゼデスカ?
・「億」単位の非課税の寄付を集めながら具体的な使途を信者にさえ公表しないのはナゼデスカ?

≪結論≫ 聖書は信頼できても、エホ証「組織」は信頼できないことがよく分かりました

「高貴な者にも、地の人の子にも信頼をおいてはならない。彼らに救いはない」

聖書は、神の言葉そのものを語った預言者やイエスを除けば、指導する監督に従順であるよう勧めてはいても、いかなる人間も「神の代理・経路」として信頼するよう命令しておらず、イエス以外の人間を「救いの経路」として信頼することは危険であると教えています。

統治体は(自分たち以外の)地の人の子には信頼を置いてはならない」と、いつも「自分たちは例外」と考えているのでしょう。どんな聖書の言葉ですら自らを例外とするゆえに、聖書にすら縛られません。

※自分たちが敗訴したことも取り上げることがありますが、それは自分たちに非がある児童虐待とかの裁判ではなく、「信教の自由」のような自分たちが正しいと声高に主張できる事例においてその判決は不当である、とアピールするときです。
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