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jw.orgの不誠実な回答②

『エホバの証人ではなくなった人を避けますか』

これもエホ証が批判される理由の一つ、「排斥制度」についての質問。エホ証指導部もそれを意識してか、除名する時に「排斥されました」ではなく「エホバの証人ではなくなりました」という表現を使うよう指示している。

それで、この質問をする人が知りたい肝心な論点は「排斥された人を避けるのか」である。

■公式ページの回答:『バプテスマを受けてエホバの証人になったものの伝道をやめ,仲間との交友から遠のいている人たちを避けることはしません。むしろ,その人を訪ね,信仰を再び強めるよう励まします』

・・えーと、ただ伝道をやめて集会に来なくなった人を、あなた方は「エホバの証人ではなくなった」と発表するのでしょうか?聞きたいのは「排斥された人」ですよ?

ご丁寧に「しません」を太字で強調することで、全く関係のない論点で自分たちが寛容であるかのようにアピールしている。その後に一応「排斥」にも触れているのですが・・

■回答続き:『ある人が排斥されたものの,妻や子どもが引き続きエホバの証人である場合はどうでしょうか。宗教的な結びつきは変わりますが,家族としてのきずなは変わりません。結婚関係,家族の愛情やかかわりは続きます』

・・あれ?これも信者向けの指示とは全然違いますよ?

ものみの塔2011年2月15日号から:『ある姉妹の成人した息子は,一時期エホバへの愛を抱いていましたが,その後,不法を習わしにするようになり,悔い改めませんでした。そのため会衆から排斥されました。姉妹はエホバを愛していましたが,息子も愛しており,息子との交わりを避けるようにという聖書の命令に従うのはとても無理だと感じました』

・・「息子との交わりを避けるのは聖書の命令」って書いてるぢゃないですか!?

もうこれは完全な「二枚舌」である。

勧誘時には都合のいい情報しか与えず、信者になればその「誓い」を盾にとり、排斥者に対して冷酷無比な忌避措置を取るよう指示され⇒もともとエホ証ではなかった家族・親族も巻き込まれ関係がぐちゃぐちゃに、というのはもう本当にかなりよくある話です。
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jw.orgの不誠実な回答①

JWの理論武装はもっともらしく聞こえるように作られているが、論点をずらしたり都合よく変えたりして肝心なことに答えていない場合が多い。JW公式ページからその例を拾ってみた。

『エホバの証人は自分たちの宗教だけが正しいと信じていますか』

■公式ページの回答:『宗教を真剣に奉じている人は,自分の宗教が神に受け入れられていると確信しているものです。そうでなければ,その宗教を信奉する意味がありません。イエス・キリストは,救いに至る宗教や道はたくさんあるとは教えませんでした。むしろ,「命に至る門は狭く,その道は狭められており,それを見いだす人は少ないのです」と言いました。エホバの証人はその道を見いだしたと信じています。そうでないなら,別の宗教を探すはずです』(回答おわり)

「宗教を真剣に奉じている人は・・」と話を一般化しているが、肝心の論点は「自分の宗教が神に受け入れられていると信じているか」ではなく、「自分の宗教だけが正しいと考えているのか」ということ。すべての宗教人がそう考えているか、と言えばそんなことはない。

回答の中で『だけ』をさりげなく消さないでください。そこ、この質問で一番重要ですから。

最近増えているノンディノミネイション(無宗派)のクリスチャンでも、クリスチャンとしての信仰を共にする人と集まり合うために、どこかの宗派の集会に出席する人もいる。しかし、その宗派だけが唯一絶対に正しいと主張することもなく、むしろ聖書の教えを完璧に理解し、実践できる人はいないことを認め、他者を裁かずにクリスチャンの生き方を追求している人です。

イエスは「命に至る門は狭い」と語ったが、それを⇒ハルマゲドンで救われるのはたった一つの宗教団体『だけ』、と解釈するのは勝手だが、そんなことは聖書には書いてない。

羊とやぎの例え話でも、イエスは「一つ一つの宗教団体を」ではなく「人を一人一人」分けるらしい。

エホ証は他の宗教やキリスト教を非難しながら、今回の質問のように、自分たちが偏狭で不寛容に取られかねない点では「他の宗教もみんな同じですよ♪」と論点をずらして一般化する。

忠実で思慮深い奴隷③

今回の解釈変更に至るまでの場当たり的な流れをまとめてみました。

① 14万4千人の募集は1935年で終了⇒今後はその残り者は減っていき、最終的に全員が死ぬまでに終末クルヨ!だからもうみんなパン食べないでね!

② 終末コナイ。それどころか「1914年世代」の統治体のメンバー全員死亡。

③ 統治体の「世代交代」が必要⇒14万4千人の募集はやっぱり終わってませんでした!

④ ↑の解釈変更の後の何年かは、だからといってその辺の平信徒はパン食べないるなよ的な記事を繰り返すが効果ナシ。残り者だったはずの人数が増え続ける。

⑤ そこで今回の解釈変更。平信徒がパン食べたところで「奴隷級」にはなれません、これからの奴隷は統治体メンバーの自分らだけ、っていうことにしようぜ案が可決されました。

今回の解釈変更は、個人やグループ単位で情報を発信しようとする最近の動きを牽制する目的か、とにかくパンを食べるという、おいたをする平信徒の数を減らそうとする別のアプローチか、その両方でしょう。

「このパンを食べ、杯を飲むたびにあなた方は主の死をふれ告げるのであり、それは彼が到来する時にまでおよぶのです」

忠実で思慮深い奴隷②

今回の解釈変更。

今までの「忠実な奴隷」⇒集合体としての天に召される14万4千人の残り者全員

これからの「忠実な奴隷」⇒統治体のメンバーである自分たちのみ

その解釈変更の理由は、「霊的食物」を与える働きに直接関わってきたのはエホ証世界本部の統治体である自分たちだけだから、だそうです。

・・でも待ってくださいよ、その同じ聖句には「主人が到着して、そうしている(食事を与えている)ところを見るならば、主人は彼を任命してすべてのものつかさどらせる」と書いてありますよ?

14万4千人の他の方たちは「霊的食事」を提供していない、だからこの奴隷ではない、となると、主人であるイエスが到着しても「そうしている」ところを見れないわけですよね。その人たちは天の王国でイエスと支配するトッケンはゲットできないのでしょうか。

ところが記事では、「主人は彼にすべてのものをつかさどらせる」という部分は14万4千人すべてに適用される、と言っている・・?? どの言葉尻がだれに当てはまるかなんて、結構好き勝手に決めていいんですね。

前回も書いたように、聖書に無数にある例え話の1つに出てくるこの「奴隷」がだれか、なんて不毛な議論はどうでもいいのですが、この解釈それ自体が内部で矛盾しているのはあまりにも分かり易すぎではないかと。

まだ天の王国でイエスと支配するのもオレたちだけ!と言った方が潔いし分かりやすいのですが。

忠実で思慮深い奴隷①

エホ証統治体が自分たちへの絶対服従を要求する根拠となっている解釈。

マタイ24章のイエスの例え話に出てくる「忠実な奴隷」=「自分たち」との主張。

最近、エホ証指導部がまた例のごとく場当たり的にこの「忠実な奴隷」の解釈を変更したらしい。

別にこの「奴隷」がだれか、という解釈は割とどうでもいい。

マタイ24章から25章にかけてイエスは自分の再臨についていろんな例えを述べている。10人の処女の話や、商売をする奴隷たちの話など、すべて共通して言えることは自分の再臨を注意深く待ち続けるように、という教訓。

主人の到着を迎える女奴隷なら灯の油を切らさないようにするし、商売をする奴隷なら主人の到着まで頑張って商売する、家の世話を任された奴隷なら使用人に食事を準備する。

誰にでも分かる身近な使用人を用いた教訓的な例え。

都合の悪い予言やよく分からないほとんどの聖句はスルーする一方で、「組織」の権威や体制を支持する教化に役立つとみれば、どんな話や細かな言葉尻でも利用し、徹底的に、恣意的に意味を付す。

一応、次回はこの解釈変更と、その解釈そのものの矛盾について考察します。
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