エホバの証人は政治的に「中立」か

エホバの証人は「アメリカの宗教」である。

このことが顕著に表れたのは第2次世界大戦の時期。

当時のWT会長ラザフォードは執拗にナチスドイツと、ナチスを支持するキリスト教関係者を名指しで非難した。

エホ証が本当に政治的に「中立」なら、国家の政治形態、主義に関係なく戦争の当事者すべては非難されるべきなのに、日本に原爆を投下したアメリカを名指しで非難したことはあまり聞かない。

ものみの塔の紙面でナチスを非難しながら、自分たちは大星条旗が掲げられた会場で大会を開いていたのは有名な話。その会場を借りただけで自分たちで掲揚したのではない、と言い訳しているが。

当然、ドイツや、ドイツと同盟関係にあった日本のエホ証は激しい迫害にさらされ、命を落とした人多数。それをエホ証が政治的に中立を保ったことの証拠だ!と自慢しながらアメリカではそのような激しい迫害はなかった。

それに疑念を抱いたのは当時の日本ものみの塔代表「兵役を拒否した日本人」明石順三。アメリカと敵対関係にあった国の信者を迫害にさらしておきながら、本部はアメリカ政府に迎合したのではないか、と。

当然、本部からの回答などなく、一方的に「背教者」としてのレッテルを貼られる。

近年でも、一党独裁時代の遠いアフリカの小国マラウィでは党員カードを買うことは税金を払うことくらいの意味しかないのに、それすら拒否するよう指示し、迫害で死なせ、それをまたエホ証は命をかけても政治的に中立だ!と美談にしておきながら、アメリカに近い隣国では、金銭(つまり賄賂)を払って兵役拒否を取引することを黙認する手紙を出していたことが元統治体の成員の手記で明らかにされている。

「中立」神話のための生贄は必要だけど、自分たちの血は流したくないんでしょうね。
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「期待」と「宣伝」は違う

エホ証統治体が解釈変更の度に使うお決まりの言い訳。

1世紀の使徒たちでさえ間違った「期待」を抱いたことがあった、というもの。

使徒1章で使徒たちが復活したイエスに尋ねた質問。
「主よ、あなたは『今この時に』イスラエルに王国を回復するのですか」

そのとき、彼らが間違った「期待」をしていたのは事実だが、我らの主イエスは『今この時』にイスラエルに王国を回復するのだ!と宣伝していなかったのも事実。

ただ間違った「期待」を抱いているのと、それをせん越にも傲慢にも真理であると「宣伝」して回ることには天と地ほどの差がある。末端のエホ証は指導部が巧妙に問題をすり替えていることに気づいていない。

1984年発行の世界中で使われたエホ証の教材「地上の楽園で永遠に生きられます!」・・日本を含む先進国で一番エホ証が増えていたころなのでこれを使って「真理」を教えられた人は多いはず。その中の1節。

「1914年に生きていた人の中にはこの世の終わりを目撃する人もいる」

これは後になって変更された解釈の1つの例に過ぎない。ただ「期待」していただけなら勝手だが、問題はこれを世界中で「宣伝」して回っていたこと。人に宣伝した時点で「うそ」である。

学問の世界でも学説が訂正されることもあれば、学校の教科書も改訂されることはあるが、人の価値観や人生を左右するような重大な歴史的事実についての認識がコロコロ変わるような教科書は信頼を失いますね。

しかも聖書という数千年もの歴史がある偉大な書物についてわずか数十年の間にこれだけ解釈の変更があるのなら、少なくとも終末に言及するような布教は控えたほうが誠実で、慎み深いのではないか。それこそ本当の意味で「神を待つ」ことではないか。

統治体のせん越で先走った解釈を「宣伝」した時点で彼らは神を待ってはいない。神は偽らない。

「もし預言者がエホバの名において話しても,その言葉が実現せず,そのとおりにならなければ,それはエホバが話されなかった言葉である。その預言者はせん越にそれを話したのである。あなたはその者に恐れ驚いてはならない」

「エホバの証人」という大仰な名称や世界的な伝道を掲げて人の家の戸口を叩いておきながら、宣伝していたことが実現しないと、「期待」していただけで、自分たちは預言者でもないしエホバの名によって語ったつもりもない、だからこの聖句は自分たちには当てはまらない、という。

政治家も宗教も自分たちの保身が第一で言ったことに責任をもたず、言い逃れをする。
自分が属した組織がこうなってしまうとはねぇ・・
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