律法の外側に垣根を付け加えたパリサイ人①

律法の外側に垣根を加えたパリサイ人。

エホ証は「自分たちの組織は聖書に固く従っている」と主張するが、その実、聖書を過大解釈した規則・義務が多く、信者に負担をかける一方で、指導部は刊行物の紙面で言うだけで指一つ動かそうとしない。イエスが糾弾した1世紀のパリサイ人のようである。彼らも「自分たちこそ律法に固く従っている」と豪語していたに違いない。

1.奉仕報告制度

聖書には「幾人かが信者となった」とか「三千人の魂が加えられた」など具体的な数字が含まれている記録がある。だからといって、個々の信者が布教活動に費やした時間など事細かに長老に報告する義務がある、というのは全くの過大解釈でしかない。

世界のどの地域で人材や出版物がより必要とされているかを知りたければ、会衆単位が注文している印刷物の数、集会参加者の推移、洗礼を受けた信者数が分かれば十分のはず。

布教活動に費やす時間も、金銭の寄付と同じく「神への犠牲」であると教えているはずなのに、なぜ報告する義務があるのか。毎月の寄付額を個人名で報告させるのと同じではないのか。「各自がその心の決めたとおりに行いなさい」という聖書の言葉に逆らってはいないのか。
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このブログの目的③

エホ証は自画自賛が大好きです。逆に「世の人」を必要以上に悪く言い、自分たちのことは徹底的に美化します。イエスの例え話に出てくるパリサイ人にそっくりです。

彼らは自分たち以外のユダヤ人を「地の人」と蔑み、『神よ,わたしは,自分がほかの人々,ゆすり取る者,不義な者,姦淫をする者などのようでなく,またこの収税人のようですらないことを感謝します。わたしは週に二回断食をし,自分が得るすべての物の十分の一を納めています』と自慢げに祈る。

エホ証の主張もこれにおどろくほど似ている。『エホバよ、わたしたちが不道徳で、人を騙す「世の人」のようですらないことを感謝します。わたしは週に二回集会に出、自分の時間やお金を奉仕に捧げています』。

その反面、自分たちを高めることしか考えていないので、自分たちの恥部、過去の間違いなどを隠そうとする傾向が飛びぬけて、ずばぬけて強い組織です。情報統制もハンパじゃないです。

末端のエホ証は薄っぺらいところでの人当たりはいいので、それをこの組織の良さと勘違いしてしまう人がいて、さらに集会に来たり、洗礼を受けたばかりのころはそれはもう、これでもかといわんばかりに歓迎され、ちやほやされるワケですが、やがて数年とかそれ以上かかってようやくこの組織の現実に気づき始める人もいます。

しかし時すでに遅し、結局はこの『組織=えほば』に捧げた貴重な時間と人生の一部はもう戻ってきません。ダンナとも仲が終わって暇を持て余してエホ証やってる主婦のオバサンなどはどうでもいいのですが、かつては将来ある若者だったのに今やこの組織に失望し、やり直しに苦労している人を見るのは残念です。

エホ証になるんだったらこの組織のできる限りの事実を知って覚悟の上でなるよう、情報を提供できればと。
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