宗教間の交流

何がいけないんですかね。

宗教間の交流の著名な推進者ダライ ・ ラマは、「主要な宗教上の伝統はどれも、基本的に、愛、同情、許しなど、同じメッセージを伝えるものである」と述べ、さらに、「重要なのは、それらの特質が日々の生活の中で示されることである」と語りました。(JWorgより)

そういうことで、いいんじゃないですかね。


でも狭量で嫉妬深い宇宙唯一絶対排他神 ≪WTねたむ君≫ が運営するwebサイト「JWorg」によると、それだけでは十分ではないらしい。

真の信仰は,単に善を促すだけのものではありません。(中略)神から求められている事柄を正確に知らなかったため、その熱意 ― および信仰 ― は、実のところ、むなしいものとなっていたのです。


へー、神から求められている正確な事柄って何ですか?

破門された家族を永遠に忌避することですか?

輸血を絶対悪だと子どもを洗脳して見殺しにすることですか?

JWトウチタイの異例で奇妙な指示にも絶対服従することですか?


そんなくだらないことが、イエスが教えた隣人愛よりも重要なんですかね。

隣人愛だけでは十分ではない!偉大なる神 (ねたむ君限定) を愛するのだ!

そこに何の違いがあるんですか?サマリア人の譬えから何を学んでいるんですかね。

新約的パリサイ人は永遠に学ぶことはないのか。

それも含めて、真理ですね。
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全知のカラクリ

前記事の続きです。

ジュンカイに垂れ流されたところで、やはり何の解決にもなりません。彼らは、地元チョウロウに輪をかけて社会経験がなく、むしろ社会常識からもっと乖離しています。

彼らに「気遣われる」ことで得られるのは、「よりエホバに用いられている=よりエホバ様に序列が近い人」 にお声をかけられた、というありがたい錯覚だけです。

ジュンカイも、その情報を支部に垂れ流すことで評価を得ます。

そして支部はそれを本部に上申します。

本部が欲しいのも 「情報」 だからです。

その情報をもとに、記事や映像の制作にせっせと精を出します。

すると純粋信者は 「まさに自分の状況を知っているかのような内容だ」 となります。

そりゃそうだよ、キミたちがチョウロウに打ち明けたことが、裏では全部プライバシー関係なく垂れ流されてるんだから。製作費も全部キミたちが出資したんだよ。


聖書に対してそういう感情を持つなら、まだ分からなくもないです。自分が生まれるよりはるか前に成立した文献だし、自分たちが出資して世界に広めた訳でもない。

自分たちが情報(ネタ)も、カネも出して、それでカミ様からだ、と思えるメンタリティーがすごい。そのネタやカネを材料にして、現代人が制作した雑誌や映像やwebサイトをありがたがるなんて、普通に偶像崇拝だよね。皆から材料を集めてアロンが作ったありがたい金の子牛だよ。

自分たちの労働と上納金で成り立っていることが、すべて首領様の栄光と賛美に結び付けられてしまう某国と、構造は全く変わらない。


ウォーウィック宮殿の統治体様たちも、もうそれを隠そうともせずに 「まさにエホバが今の自分のために書いてくださった記事だ、とお感じになったことはありませんか?いやあるだろ?」 とドヤ顔で放言します。

厚顔無恥、とはこういうことを言うのでしょう。

特に最近は、JWorgがその 「象徴」 になっているようです。

会衆を 「炎の目」 で観察するイエス様の代理人気取りなのです。

全知の神様を祀り上げる専属代理店が裏で回す内密情報管理システム。


つまり、聖書なんか実はどうでもよくて、組織としての宗教団体を維持し、統制し、権威付けるために使っているだけの道具なんですね。

情報収集

チョウロウたちの「気遣い」とは情報収集のことです。

個人情報を提供するだけの「気遣われる」側のメリットと言えば、チョウロウにお声をかけられた=エホバ様に気遣われた、という錯覚だけです。

社会常識も社会経験もないチョウロウは、「この世の常である試練」 (コリント第一10:13) に役立つ知識も経験もプラクティカルなアドバイスも、持ち合わせてはいない。

お悩み事がなんだろうが

祈れ
聖書読め
集会休むな
布教も欠かすな

を言えばいいだけの簡単なお仕事です。というか、それしか言うことがない。

JW流に「王国を第一」にすれば万事は上手くいくのです。しかもイエスの語った「王国を第一」が、JWの独自宗教活動を万事に優先させる、に狭められ、いや歪められてしまっている。

しかし現実には、そういう意味で「王国を第一」にすると万事が上手くいかない。常に「自分は十分にできていない」罪悪感を持たされる、チョウロウや周りの目を気にしてストレスはたまる、無自覚に心身は削られる、非信者家族との関係も悪化する、会社や学校で変わり者扱いされる。

そうやって人生を削る「犠牲」の対価として得られるのは、「エホバの証人であり続けるためのメンタルが強められた」という錯覚だけになる。

しかしその錯覚が彼らにとって何よりも重要だったりする。自分たちだけが、やがて天使総動員による人類大虐殺から救われて永遠の命がもらえる、という錯覚と同値だからです。


話を戻します。


では、表向き「気遣う方」のチョウロウ側のメリットとは何か。

自分の気遣ったヒツジが、「エホバの証人であり続けるためのメンタルが強められた」のを見て、自己満足という形のエクスタシーに浸る人もいます。こっちも錯覚です。

これはまだ純粋で、この宗教に汚(ヨゴ)されていない部類の人です。


かたや、トッケン志向のチョウロウにとって具体性のあるメリットは「情報量」です。

中には、ヒツジと純粋に友になり、その信頼関係から打ち明けられたことを、安易に他のチョウロウやジュンカイには垂れ流さない人もいます。

しかし大抵のチョウロウは気遣うフリをして収集した情報をジュンカイに垂れ流します。すると情報量の多さ=普段からヒツジに「声をかけている」「気遣っている」評価になるからです。

続きます。

入場券

地上のすべての宗教はこの願望のうえに作られているんだし、おれはそう信じている。それにしたって、問題なのは子どもたちさ。問題は山ほどあるのに、おれは子どもだけを例にとった。そこには、おれが言わなくちゃならないことが、一点の曇りもなくはっきり示されているからなんだ。

人はみな、永遠の調和を苦しみであがなうために苦しまなければならないとしたら、子どもはそれにどう関係する、ひとつ答えてくれ。

もしも、子どもたちの苦しみがだ、真理をあがなうのに不可欠な苦しみの総額の補充に当てられるんだったら、おれは前もって言っておく。たとえどんな真理だろうが、そんな犠牲には値しないとな。

調和なんておれはいらない、人類を愛しているから、いらないんだ。それよりも、復讐できない苦しみとともに残っていたい。

だから、自分の入場券は急いで返そうと思ってるんだ。おれがせめてまともな人間だというなら、できるだけ早くそいつを返さなくちゃいけない。おれは神を受け入れないわけじゃない、アリョーシャ、おれはたんにその入場券を、もう心からつつしんで神にお返しするだけなんだ。

イワン・カラマーゾフ


性犯罪を隠蔽すること、シラを切り通すことがこの組織の 「調和」 とやらに必要なら、そんな調和に価値はない。


それこそが一点の曇りもない真理で、2~3人の 「かわいそうだと思わないこともない」 犠牲の上に成り立つ真理など、この世に存在しない。


存在したとしても、どんなわずかなコストでも、何かをかけてまで守る価値もない。


全能神が苦しみを上から眺めて放置しながら、それでもお粗末な 「不完全」 代理店に従えと、そんなマゾヒズムを哀れな信者に課して 「自分の正しさ」 を立証しようとしている、というふざけたWT解釈にも、何の価値もない。


エゴな神とその教えは 「自分たちだけが正しい」 エゴな盲従信者と、その盲従の上にあぐらをかく 「命令はするが責任は取らない」 特権階級を生むだけだ。

信教の自由②

「JW.orgロゴを掲げる、も協会関連法人所有の建造物で集まる」自由

「も協会の印刷物を発行し、配布する」自由


この世に 「真の」 キリスト教など存在するのかどうかは知らないが、キリスト教とはこんなちっぽけな自由に依存するものなのか。

こんな程度の自由がないくらいで、誰が、何で、困るんでしょうね。

JWが大好きな初期キリスト教はユダヤチックな会堂ではなく、個人の家で集まっていた。キリストも2人か3人でもわたしの名において集まれば、わたしもそこにいる、と教えている。彼らが寄付を集めたのは困窮する人のためで、大がかりな建設や、建てれば必要になるメンテナンス、そこに住む特権階級の生活や老後のためではない。


もう一度、ルターを引用します。

「キリスト者はあらゆる者の上に立つ主人であり、ありゆる者に仕える奴隷である、キリスト者は誰にも服することなく、誰にでも服する存在である」

彼の言う 「キリスト者の自由」 は、業ではなく信仰による義認なので、何かを 「する」 か 「しない」 かがどうでもいいってことはないのですが、そこには依存していません。

仏式の葬儀で焼香するクリスチャンもいます。それがその文化に根づいている、故人と遺族への礼節だからです。彼らにとってキリスト者の自由には 「土地のしきたりに従う自由」 も含まれます。

すべてのクリスチャンがそう 「する」 べきってこともないので、キリスト者の自由とは、最低限 「しない」 自由さえ担保されていれば何の支障もないと思いますが、担保されなくても文句は言わない覚悟で受容するのがキリストの磔ですよね。神を愛する自由は誰にでもあるが、その土地の法やしきたりで認められていないことを 「する」 ことでしか自分の神は愛せないと考えるなら、ロシア信者含めて自己責任ではないですか。いつからキリスト教は 「正当なる権利」 や 「法で保障される自由」 を陳情する惨めな宗教になったんでしょうか。


キリストは、律法のスピリットは規定やしきたりに従って何かを 「する」 ことではなく 「神と隣人を愛する」 ことに集約されると教えた。

JWorgのサイトやロゴの使用(今やクレカで寄付集めもできるサイト)

JW印刷物の出版や二次配布

JW建造物での結社集会や寄付集め


キリスト教系の欧米型社会では普通に認められてはいるが、それがどこに行っても正当な?権利としてあたりまえに主張できる世界だとは思わない方がいいし、聖書から読み取れるキリスト者の自由とは何の関係もないと思います。
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