相対的真理

そんなもんあるか(笑)

宗教間の交流を支持するたちは、多くの場合、だれも「真理を教えているのはこの宗教だけだ」とは主張できない、と考えます。実際、「今日見られる諸問題の多くは諸宗教の排他主義が原因で生じている」と言うかもしれません。(JWorg)

これも、その通りなんじゃないですかね。

その人たちは、真理が相対的だと言っているんじゃなくて、人が知りうる(宗教上の)見識や概念、人がそれらを言葉で表現しうる説明はすべて相対的だって言っているんですよ。

それが宗教者の慎みってもんでしょ。

そんなの空しい不可知論だ!とでも言いますか。


じゃあ新世界訳を引用しますよ。

「すべての人が偽り者であったとしても、神は真実であることが知られるように」

「神の富と知恵と知識の深さよ、その裁きは何と探りがたく、その道は何とたどりがたいものなのでしょう」


これを不可知論と言うなら、聖書は不可知論を教える本ですから。

人としての慎みと限界をわきまえて、排他的・独善的にならないようにね。


そのような意見とは対照的に、エホバは「真理の神」と描写されており、ご自身のことを「わたしは変わっていない」と言っておられます。(JWorgさんの反論)


聖書にそう書いてあるから何なんですかね。なら他にも引用しましょうか。

「これは、水と血によって来た方、すなわちイエス・キリストです。水だけでなく、水と血とをもって来られたのです。そして、証しをしているのは霊です。霊は真理だからです。」

「わたしは道であり、真理であり、命である。」


聖書で語られる真理とは、「地の高貴な者たち」が都合よく思いつく宗教解釈でも独自戒律でもなく、神、キリスト、御霊ですよ。でも3つの真理ではなく、唯一の真理が存在する。それを「さんみいったい」と言いたければ言えばいいし、その単語が嫌いなら使わなければいい。

そんな表記のチョイスに真理は左右されないので安心しましょう。


「宗教の限界を知らぬ者が宗教の変革を試みても、必ずや劣悪な変種になる」

これも、真理ですねぇ。
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指月


「誰かがこう言っていた」に依存する信仰には、限界があります。


限界があるだけでなく、危険でもあります。


その人(組織)の言うことがどんなに奇妙でも、心身を、家族の絆を、ズタズタに切り裂いてでも、頑なに実践することが信仰になってしまう。


突き詰めれば、聖書(パウロ)がこう言っているから、に盲従する信仰も同じです。


文字がなければ伝わりませんが、文字は指月の指にすぎません。


聖書がなければキリストは伝わらなかった、くらいの「聖書のみ」でいいと思います。


「も塔の」言っていることが真理でないのなら、「誰の」言っていることが真理なのか。


どうして「人の言うこと」ばかりに頼るんでしょうか。


宗教の選択

同じ騙されるなら景色はより広くて自由な(と思える)方がいい、たどり着くことはなくても、できるだけ上からの景色は見てみたい、というのは人の性です(そこに山があるから)。

宗教というものに騙されていたと、もう一つ覚醒するのもいいですが、結局は、誰でも感覚器官を経由する何かの情報に振り回されて生きていく、その情報源と居場所を自分で「選ぶ」ことしかできません(善悪の知は選択することでしか取得できない)。

「選ぶ」と「信じる」は違う。

シュライエルマッハーのようにそれを「知った」上で(彼の場合はキリスト教に一度は幻滅した上で)、何かの宗教という枠組み(階層)を居場所として留まる(選ぶ)人が増えれば、それだけでもカルト団体の実害は軽減されてゆくと思います。

選んだだけで、その選択(選択した宗教や宗派)が信仰の対象にはならない。


聖書でも、人が神を選ぶのではなく、神が人を選ぶ。

人がまだ生まれもせず、善や悪を成す前から、神の選びは召される方に依存する (パウロ)

モーセやパウロに、自分が神を選んだという意識はない。

宗教団体のチョイス、神名表記のチョイスは、神の選びとは何の関係もない。

そのチョイスを「真の宗教」だと自賛する人は、自分の選択を崇めているだけです。

「真の」神が存在しないように「真の」宗教も存在しない。
(神や宗教が実在しないと言っているのではなく)

「真の」ラーメンや「真の」ハンバーガーが存在しない(決定できない)のと同じ。

選択できるだけなのに、その選択を誇る人は、自分が創ったのでもないものを讃える偶像崇拝者や表記(ブランド)崇拝者、または自分の目利きを高める自分崇拝者です。


神が神でないのなら、神にとって恥なのは人であり、その逆ではない (カール・バルト)

おこがましい表現を使うと、宗教の迫害ではなく、宗教の変革です。

でもバルトによると、宗教事象(というヒトの営み)の根本的制限を知らない者が「宗教の変革」を叫べば、どこかの新興教団のように、ただの劣悪な変種に堕ちるそうです。


キリストの恵みさえ罪悪感を煽るのに利用してとにかく業を!ですからね。

お前たちはこんなにありがたいキリストの恵みに感謝をシメサナイのか?

ワレワレに従わなければその恵みを失うのだぞ?

何という劣悪な「恵み」へと変種してしまったのか。

現在的終末

クリエーターを信じるのもいいですが、創造神ならこの世を滅ぼさないことも、気が向いた時に滅ぼすのも自由、各人は今夜にでも言い開きをすることになる(イエスの現在的終末論)。

それが、かのユダヤ人信仰者にも宿るスピリットだった。

神が、宗教会議と伝統で決めた「聖書」に縛られる筋合いがあるのかな、という素朴な疑問。

WT解釈に行動や性格を限定されるWT神はさらに論外ですが(拝むに値しない)。


現在的終末思想は信じた人が「黙って」生き方に表せばいいと思います。

そういう思想を語って広めるのもいいですが、「人の命を救う」と称して具体的なタイムリミットまで宣伝するなら、起こらなかった全責任は取るように。

現在的終末論(明日にでも来る)は偽預言解釈を正当化する言い訳ではない。

そういう者たちに付いて行かないように、とイエスは警告した。

躓かせる者は臼石をくくりりつけられて海に沈むより災いだと。

そもそもJW活動への参加/不参加というちっこい話が裁きの根拠になるとは思えませんが。


JW親の立場にある人が生み出してきた「実」とは何なのか。

腹を痛めて生み出した「命」に受け継がせるスピリット=霊とは何なのか。

聖書を子育てに役立てるのもいいですが、ハルマゲの恐怖を刷り込み、JW活動戒律でがんじがらめにして尊い命のポテンシャルを限りなく狭めてしまう、それが聖書のスピリットなのかな。


恐れを生じさせる奴隷身分の霊(パウロ)を植え込む、強迫観念に貶められた神。

恐れ、恐れ、死を課する者たち(エリフ)が利用するスピリットは恐れです。


『主は霊である、そして主の霊があるところには、自由がある』

主の霊は束縛や恐れとは無縁です。

主の霊がその人の霊=スピリットと同期して「アバ、父よ」と叫ぶからです。

人生の目的

WT信者のように5秒で言い切る(エホバ様の御意志を行い、エホバ様を賛美することです)人はいないでしょうが、今まで読み漁った中でぐっとくるインスピレーションがあった本は何冊かあります。

あえて名前は挙げないのは、宗教関係者はもれなく政治的な活動や発言もしていて、「政治に関わる発言はすべて悪だ」というJWの短絡的な中立思想は論外としても、このブログでは宗教のお話にとどめておきたいので。

何かを読むときに、誰かが「こう言っていた」という引用(利用)目的の読み方はつまらない。その人の言っていることの何が正しい/間違いか、とジャッジしながら読むのはさらに最悪。

怪しい言い方をすると、その人の霊=スピリットを感じる読み方です。聖書にも様々な霊感(スピリット)が宿っているように、本にも書いた人のスピリットが宿って(生きて)います。

本とは何かを主張するために、何かを伝えるために書くものですが、正しい間違いを単純に主張する次元を超えて「魂」で語っている人の本や、逆にできるだけ主観を排して(不可能ですが)検証目的で書かれているストイックな本が好きですね。


人生の目的はそれぞれ考えればいいと思いますが、何人かのキリスト者に共通するスピリットは感じました。

スピリットは永遠で、命も永遠です(啓示された真理)

それを後世に伝えることです。

命だけなら全生物に共通ですが、スピリットを遺せるのはヒトだけです。

命を育むのは尊いことですが、願ってもできない人はいます。

でもスピリットを伝えることは誰にでもできます。

といっても、後世に語り継がれる思想や本を遺すことも限られた人にしかできません。

発信する方法はいくらでもあります。

毎日会う人に「証し」すればいい。

その証しとは、もっともらしく「持論の正しさ」を語ることではありません。

宗教に限らずウザがられます。持論はブログにでも書いて夜中にひっそり読んでもらうくらいがいいでしょう。片道発信だから、ウザいと思えば読まない自由もあります。

話し方、接し方、言動に表れるスピリットは人に伝わります。自分もJW非JWを問わずインスピレーションを受けた人(本の著者含む)はたくさんいます。

できるだけそういう人や本に巡り会い、その霊を感じること。「キリストの霊」(パウロ)を伝えたい人はそうすればいい。持論を独善的に主張するよりもキリストの思いが宿る言動でね。

どの宗派や団体がナンバーワンだとか、不毛な聖典解釈論争に明け暮れるよりも、クリスチャンとわざわざ称するなら、自分を見ればキリストを知る、こんなに自分と長く付き合ったのにあなたはまだキリストを知らないの?と、真顔で言えることを目標にして頂きたい(自分には無理ですが)。

たった一人が後世に伝えられる命や霊はわずかなものですが、それらは永遠に続きます。キリストを愛する人は「彼の命」に移されています。

ものみの塔が潰れるかどうか、なんて永遠の観点から見ればどうでもいいですが、思考停止状態でWTのみを情報源に、大会集会で半分寝ながら睡眠教化されて「楽園での永遠の命と復活」を夢見て、やがてボケるのも悲しい人生です(思考を永年停止させて決まりきったJW日課を続けてきただけのご老人に多い)。

表れては消える新興宗教団体や、その都合よくコロコロ移り変わる偽預言解釈に人生をかけても、命も霊も遺せない。それが「滅び」なんでしょう。
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