スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

異邦人の時

『また、エルサレムが野営を張った軍隊に囲まれるのを見たなら、その時、その荒廃が近づいたことを知りなさい。その時、ユダヤにいる者は山に逃げはじめなさい。都の中にいる者はそこを出なさい。田舎にいる者は都の中に入ってはなりません。 なぜなら、これは処断の日であり、それによって、書かれていることのすべてが成就するのです。 その日、妊娠している女と赤子に乳を飲ませている者にとっては災いになります! その土地に非常な窮乏が、そしてこの民に憤りが臨むからです。そして人々は剣の刃に倒れ、捕らわれとなってあらゆる国民の中へ引かれてゆくでしょう。そしてエルサレムは、諸国民の定められた時が満ちるまで、諸国民に踏みにじられるのです』

ルカはかなり具体的に書いています。

⇒ エルサレムが軍隊に囲まれる

⇒ そして人々が剣に倒れ、捕らわれとなって引かれていく

⇒ そしてエルサレムは、異邦人に踏みにじられる

ちょっと文脈と一緒に普通に読めば、その荒廃・・西暦70年の荒廃なんですが。

でもWT洞察には、異邦人の時の起点が西暦70年ではないことの複雑難解な説明が延々と綴られている。前にも書きましたが、この異邦人の時を旧約側の予言と絡めるのはキリスト教原理主義に共通する特徴というか名残のようで、現イスラエル国家とも利害がそこそこ一致する模様。


暗示探しブームとも言えそうな、19世紀アメリカの2520年騒動(にもなっていないか)・・起点の取り方によって1843年やラッセルの1914年など、いろいろ言い出す人がいたがことごとく外れた。1874年の時もそうですが、外れたから「見えない再臨」にした、選ばれし者だけが認識できるのだ、なんて発想がもう裸の王様に出てくる詐欺師職人だよね・・

怪しげなラッセルとはもう一線を置きたいが、解釈上どうしても1914年は放棄できない事情に悩まされる某団体は、「外してなどいない」と100周年記念!を声高に叫ぶ開き直りっぷり。

イエスは自分の言葉を、年代計算に使える秘められた暗示として語ったのか。

だとしたらイエスて、けっこう教え下手なのかな。もっとはっきり言えばいいのに。

それとも救われる道は狭き門、という教えのためにわざと分かりにくくしてるのか。

あまりたくさんの人に見つけられても困る、そんなに救いたくない、みたいに。

謎解きみたいでおもしろいですね!とか言わせる実演もあったが、聖書が謎解きの本とは知らなかった(そういう読み方に魅了される人もいまだに多いが)。何の脈絡もない聖書のあちこちの断片的な字句に暗示的な意味を付し、謎解きのように組み合わせてようやく出てくる1914年をはじき出せなかった全員を、天使総出で殺しにくるらしい。

WT聖書解釈パズル、制限時間内に解けないと罰ゲームはハルマゲで死刑ということか。


おや?イエスや聖書が明言していなければ、予型的な解釈は付さないんだよね・・
スポンサーサイト

初臨の予測

忘れていましたが、も塔2014年2月15日号で、ダニエルの70週の予言を基に1世紀のメシア到来について事前に予測できた、という見方は一般的ではなかったと解釈を変更しています。

今までは「民は待ち設けていた」⇒ 70週の計算から1世紀の第2四半期中にメシア到来が期待されていた ⇒ 1914年の前からその年に期待していた聖書研究者とリンクさせていました。

『ビグルー,バクエ,ブラサク共著のフランス語の「マニュエル・ビブリーク」はこう述べています。「人々はダニエルの定めた七十週年が終わりに近づいていることを知っていた・・」。ユダヤ人の学者,アバ・ヒレル・シルバーは,当時の「一般に流布していた年代計算」によれば,「メシアは西暦1世紀の第2四半期ごろに現われるものと考えられていた」と書いています』(1998年も塔)

しかしも塔2月15日号は↑を真っ向から否定しています。

『1世紀のユダヤ人が・・(ダニエルの)70週の預言に基づいてメシア到来の時を算定していた、ということは考えられるでしょうか。可能性はないとは言えませんが、その確証はありません』

BC607年についても、これくらいの慎みのある書き方ができないものでしょうか。

このタイミングでの解釈変更が何を意味するのか、よく分かりません。

100周年で煽るだけ煽って集金、異例の光と称して1914年を放棄、大量離脱も視野に入れた再建のための巨額の資金?・・とはさすがに考えにくいですが、今まで1914年に始まったとされていたことをいやらしいくらい少しずつ先送りする解釈がたて続いています。

天界の異兆・・・・・・・宇宙開発のこと ⇒ これから将来起きるリアルなやつ
羊とやぎ・・・・・・・・まだ分けていない
奴隷にすべてを与える・・ハルマゲの直前=ラプチャーと同時だよ

今や、主が1914年に来てしたことと言えば、3年半かけてあらゆるクリスチャンを精査してお選びになったのがなんとWT協会の2代目独裁者ラザフォード、その彼がラッセル派を強権排除して協会を乗っ取り、出版・不動産ビジネスを拡大させていくお手伝いを始めたくらいでしょうか。

あ、あとこれから世界人口爆発しようかって矢先にサタンをブチ落として100年放置とか。そんなんで、自分たちが700万程度になったくらいでイエスの支配100周年の証拠!とかメデタイこと言うから、脳内自己中お花畑とか言われちゃうんですよ。数でいえば同時期に拡大してきたモルモンやSDAにも余裕で負けてるっつーの。

話を戻します。

それで1914年は形式的に維持しておいて、大患難からハルマゲが「一つの世代」の内に起こる、という解釈も可能です。も塔2013年7月15日号では、その期間さえ「長さは特定できない」となっています。以前は1914から始まっている、とされてきたことがどんどんと、その期間中に起きるとして先延ばしされているからです。

それってもうほとんど前千年王国説に寄せてるような・・最近は14万4千人もハルマゲ前にラプチャー(携挙)されるとか言い出す始末・・そうすれば100周年でも200周年でも延長できますが、「世代」を使って大患難の始まりに大まかな時期予測をすることはできなくなります。つまり、1914年は間違っていたと認めなくて済みますが、終末を予測する計算起点としての事実上の放棄です。

こんなこといちいち考えるのも、かったるくなってきました。好きにやってくれ。

十進法世界②

来年、JWがしがみつく1914年からいよいよ「100年」が経ちます。この「100年」も十進法表記では何となく区切りの年に「見えて」しまいます。1914年から完全に一時代が経過してしまう感は否めません。ものみの塔2014年1月15日号もこの「100年」を意識して、むしろ「100年の実績」を逆手に取って組織を賛美し、信者離れを食い止めようと必死です。

「2000」という十進法上のミレニアム世紀末に便乗し、「1914」「1925」「1975」などのオリジナルの数字を利用して終末感を煽ってきた新興宗教が、同じ数字によって窮地に立たされようとしているのは何とも皮肉です。カトリックの世界的権威と伝統を非難して信者を獲得してきた組織が、自らのささいな歴史と拡大を根拠にして権威を振りかざし始めるようでは、もうこの組織の存在意義も失われつつあるのかな、としみじみ思います。

JW最後の砦とも言える「1914年から約80年」も何事もなく過ぎ去りました。

人間の作った(発見した?)数や代数記号は、時に不思議な様相を呈することもありますが、宗教的信仰とは関係ありません。むしろ特定の数字を「超」自然の存在やその意志とリンクさせようとする試みはオカルト、カルトの類です。脈絡も関係も全くない聖書のあちこちから引っ張り出した数字を隠された暗号であるかのように組み合わせて「1914」を算出するやり方もそれに近いと感じますし、その起点となるBC607年でさえ歴史的に否定されているのです。しかしJW組織は未だにそんな数字と決別できないでいます。現在は「1914」年から「2」世代解釈を指導部が命じるがまま宣伝させられている現役JWの皆さん、この過ちをまだ繰り返し続けて真実の神の名を汚すことはもうやめませんか。

十進法という、10の○乗で桁を区別する指数的表記の自分なり捉え方を書きましたが、いずれにしても何かの数字に信仰を置くのは聖書の示す所ではないと思います。

十進法世界①

JWとは何の関係もない話・・でもありません。

かつて「1999」年に何かがあると信じた人もいます。自分もブログのアドレスにこの数字入れていますが・・深い意味はありません。JWもミレニアム世紀末に乗じて「1914」「1925」「1975」「1914+80くらい」などの数字を利用して「2000」へのカウントダウン的にハルマゲドンを煽るに煽り、そのすべてを見事に外してきました。

自分も含めてこの「19○○」という数字に惑わされてしまったのはなぜか?と考えました。

① 十進法で数えているから?

この数え方では0,1,2,3・・8,9と十の記号を使い、足りなくなると一ケタ繰り上がります。

十進法に限ったことではありませんが、数を表すのに使う「数字=記号」の数が多いほど、大きいケタが一つ繰り上がる、というのは何か特別なイベント感が生まれます。

十進法の世界では1999から2000と表記上切りよく見えるタイミングで繰り上がる時は1000年に一度しか来ない。この場合でも「1000年」とは十進法の「1000年」であって、二進法の世界だったら、たったの「八年」なんですけどね。八進法なら1777年が20世紀末になりますが、十進法に直すと1023年という半端な数でしかない。

② この数え方が指数的だから?

都市や県の人口で「10万都市」「100万都市」という言葉があるように、10万人台、100万人台が多い。日本の都道府県の人口では左の桁が「1」であるものが20(東京都含む)、次いで「2」であるものが10、この2つですでに過半数を占める。「9」で始まる人口の県は香川と神奈川の2つだけ。そして日本全体の人口も左の桁は「1」です。

これは十進法の表記が、各位の数が10の○乗を基本としてその何倍かを表しているためで、10を底とする(桁数を表す)常用対数logを使うとその割合は大体そんな感じになっています。年号の2013も数字が4つ並んでいるだけですが、各位の背後に10の○乗という指数が隠れています。

基数1に2を十回かけると1024(2の十乗)です。これは10の三乗とほぼ等しくなります。10回かけて3桁分だから、1回分は約0.3です。それでlog2は約0.3で約3割、同じようにlog3で約0.475となり約半分、log9 = 0.954とlog10 =1の差は0.046で約20分の1、日本の都道府県数47に対して「9」で始まる人口の県が存在する期待値は47×0.046 = およそ2.3になり、現実はその予測にほぼ沿っている(香川と神奈川の2つしかない)のです。

世界人口で見ても、JW年鑑に載っている国数239に0.046をかけますと期待値は10.994 = 約11です。実際に数えてみると、人口が「9」で始まる国は・・きっかり11です。・・おや?人間が考えた(発見した?)数にこの世界が従っているように「見える」のです。

話が長くなりましたが、何が言いたいかというと、指数的な十進法世界では左の桁に「9」という数字が出てくる確率が低く(“すぐに”繰り上がるというイメージ)、「1」が最も多いのです。「1999」のように「9」が3つ並んで左の桁が「1」から「2」に繰り上がるのはビッグイベントなのです。

野球でも「2000」本になるとそのハードルはグっと上がり、名選手の入り口になります。ピッチャーでは「200勝」です。本塁打は「200本」ではそこまで注目されませんが、左桁が「繰り上がる」につれ達成した人数は少なくなる、というのは同じです。

電話番号のように桁数固定の人工数を無作為に抽出してもこの現象は起きず、どの数字も等しい確率で入っています。西暦の年号も1900年代の100年間が、それより前の100年より速く過ぎるということはありません・・が、他にも理由はあるにしろ、「2000」を目前にした「19○○」という数字に、何かデカイことの直前的な“特別な時代感”を持ってしまったのはこの数え方による錯覚も一因なのかもしれません。(個人的仮説です)

続きます。

「世代」に触れないDVD

今年の地域大会で出版されたDVD「信仰によって歩む」。数年前の劇の実写版リメイク。

イエスの予言通り西暦66年にローマ軍がエルサレムを攻囲するも原因不明の撤退、イエスの言葉に従いエルサレムから逃げたクリスチャンたちが西暦70年にエルサレムが最終的に滅亡するまでの4年間に経験した葛藤や苦しい生活を描くストーリー。

疑いに負けてエルサレムに戻った人物の主張⇒「昔の預言者たちはバビロンの滅亡など数百年も前から予言したことがある。今回も『終わり』はまだ、数百年も先かもしれないじゃないの」

模範的な主人公の回答⇒「ローマ軍が攻めてくることで、イエスの予言は成就した。その予言を信じて行動すべき」の1点張り。説得力ない。

なぜか「これらすべてのことが起こるまで『この世代』は過ぎ去りません」のイエスの言葉に触れていない。この言葉を信じる前提なら予言の成就は数百年も先じゃない。実際にイエスの言葉から37年後、イエスの警告を直接聞いた弟子たちが死に絶えない内に、エルサレムは滅亡した。それとも、共観福音書はエルサレム滅亡後のユダヤ人信者共同体に書かれたもので、「世代」のくだりも史実に合わせた後付けで、その当時の信者は知らなかったというならある意味史実通りなのか。

エホ証統治体もかつては1914年の「世代」が死に絶えない内に、と宣伝していたが(1984年教材)、もう37年どころか100年が経過しようとしている。そこで1914年を撤回するどころか、1914年にイエスの再臨を認識した「世代」と、終末を目撃する「世代」の生涯が重なっていればダイジョウブ、というまさかの「2世代」宣言を強行した。

その矛盾を抱えているからこそ、「世代」に触れると分が悪いのは分かってるんでしょうね。

そもそも、ローマ軍がエルサレムを攻囲することにあたる「荒廃をもたらす嫌悪すべきものが聖なる所に立つ」というのも、かつては「国連(=嫌悪すべきもの)が世界平和を目的として設立される(=神の王国の地位を占めようとする)」という解釈を宣伝していたが、国連が設立されて数十年たってもサッパリ終末が来ないので、1999年教材では「『荒廃をもたらす嫌悪すべきもの』が聖なる場所に立つのは,これからであると思われます」と、しれっと書かれている。それ以来この解釈についての言及はほとんどない。

「これからであると思われます」・・?じゃあその攻囲後の数年間を描いたこのDVDはまだ先の話ですよね。そんなんでこのDVDを教訓として「疑イニ負ケルナ!」と言われてもグっとこないんですが。疑うも何も、現代に適用させようとする根拠がコロコロ変わるし、矛盾だらけなので。

プロフィール

GUABELLO

Author:GUABELLO
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。