主は羊飼い


主はわが羊飼い
わたしは何もかけることがない
主はわたしを青草の原に休ませ
憩いの水のほとりに伴い
魂を生き返らせてくださる

主は御名にふさわしく
 わたしを正しい道に導かれる
死の陰の谷を行くときも
 わたしは災いを恐れない
あなたがわたしとともにいてくださるからだ
あなたの鞭、あなたの杖
それがわたしを力づける

わたしを苦しめる者を前にしても
あなたはわたしに食卓を整えてくださる
わたしの頭に油を注ぎ
わたしの杯を溢れさせてくださる

命のあるかぎり
恵みと慈しみはいつもわたしを追う
主の家にわたしは帰り
生涯、そこにとどまるであろう


WTでも散々きかされた詩編23。彼らの適用にかかると、組織を通して与えられる「霊的な備え」に不足しない ⇒ 集会を休まないことでその感謝を表していますか、となってしまう。

今でも、聖書のこういう言葉は好きですね。

これが、どのような霊感(スピリット)によって書かれたものなのかは自分には知る由もないが、このような言葉が、時代を超えて様々な表現者たちの偉大な仕事に霊感を与えてきたものであることは、間違いない。

JWのトンデモ年代解釈など、聖書オリジナルの言葉に比べれば、何の価値もない。


「わたしの父の家には住む所がたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。 」


命のあるかぎり、恵みと慈しみはいつもわたしを追い

そして、主の家にわたしは帰るであろう

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因果の報い

ブログの更新をあまりしなくなっている一因に、仏教本の影響はあると思います。

良くも悪くも、自分が経験したJWというささいな宗教に執着する気はとっくに失せていますが、仏教本で煩悩とか執着とか読むと、ますます悪口ブログ(笑)を更新するテンションがさがります。


それでも自分が書いてきた理由は、経験者として発信することによる被害抑止です。

そして自分自身が児童虐待の隠蔽に関わってしまったからです。

自分は実名で警視庁の担当部署に「自首」しましたが、親告罪なので情報提供だけ受け付けます、という扱いでした。ブログで具体的なことを書こうにも、直接の被害者がいまでも強烈なマインドコントロール下にあるので、逆に訴えられてしまう可能性は高いです。

去年、ようやく法改正の動きがあり、児童虐待は親告罪ではなくなりました。

それだけ、ここ日本では、仮に自分や家族が被害者になったところで、「組織の不祥事」を公にすることに対する病的な恐れが根強く支配しています。さらに、自分たちさえ泣き寝入りすれば犯罪として成立しない親告罪であることも足かせになっていたかもしれません。


「許しなさい」
「忘れなさい」
「恨んではなりません」
「神が然るべき時に報いを与えるので待ちなさい」


こういう教えは仏教も似ています。仏教では、人格神が報いを与えるというより、善因善果、因果の理がいずれ報いを与える、というものですが、基本は同じです。

こういう教えを都合よく盾に取って、不祥事を好き勝手に隠蔽するのが宗教です。

犯罪被害に適用する教えではありません。親告罪ではなくなり、さらに明確になりましたよ。

自分が経験したJW宗教も例外ではないどころか、もっと強烈にこの病巣が支配していることを目の当たりにしてしまいました。その経験者としての思いを一方的に吐き出す悪口ブログです。

年次総会でまた雑誌が減ったらしいですが、もはやいい加減な「新しい光」さえネタ切れなのか、株主(信者)相手に今年の合理化(経営)方針を発表する企業説明会みたいなご様子。

クレカや個人アカウント(役職さんは金額実名バレバレじゃん笑)からの寄付を奨励するなど、自分たちが過去に断罪した禁断の果実にも手を出す醜態ぶり。この組織も「まいたものは刈り取る」という因果の報いを受けているようですねぇ。

今後も更新頻度は少ないと思いますが、書くことがあれば書きます。そしてJW問題を指摘するサイトやブログを続けている皆様もリスペクトしています。

日本JW市場②

確か3年くらい前にも書きましたが、キリスト教圏ではない日本JW市場では、エホバの証人から「聖書」を知った、という事実が足かせになる場合があります。

エホバの証人は「自分にしてほしいと思うことは、他の人にもしなさい」というイエスの教えをひっさげながら、見知らぬ人の敷地に立ち入ってインターホンを押す、という自己矛盾した活動をしています。(宗教目的で見知らぬ人に押しかけきて「ほしい」と思っている人などいない)

人の迷惑お構いなく、「家から家」という独自の字義解釈を一方的にアピールしているだけで、福音を語っているのはエホバの証人だけではありません。

ただ、キリスト教関係者もそれなりに頑張ってはいるのでしょうが、ここ日本では、エホバの証人から「聖書」を知ってしまった人に対しては、彼らより先にその人に「普通のキリスト教」を伝えることができなかった、という事実は存在します。


といっても「誰」きっかけで聖書に興味を持つようになったのか、に囚われる必要もない。

カトリックの人との接点がきっかけで聖書に興味を持つようになった人は、ローマ教皇に永遠の忠誠を誓わなければならないんでしょうか。


もしからしたら、今でも1万人に一人くらいは、JW訪問に感謝するお人好しな方もいるかもしれませんが、カトリック信者にもいろんな人がいるように、たまたま、わりと話の分かるエホバの証人と多少意気投合したところで、「その人」に感謝するのはまだいいとして、ローマ教皇だろうが、JW組織だろうが、無条件の服従を誓わされる筋合いもない。


「組織」とやらを必要以上に悪者にしなくていいし、特別視しなくてもいい。

過去のものみの塔が言っていることを再び引用します。

『こうして非常に多くのふさわしくない魚(JW)が集められましたが、それらの魚は神の是認を受けませんでした。しかし少なくとも、数多くの非キリスト教徒(日本人)が聖書に、また腐敗したものであるとはいえ一種のキリスト教に接することができました』(1997年も塔)

単純に、それだけのことです。日本ではこのブーメラン現象が起きています。


それでキリスト教関係者の方々には、エホバの証人が「大いなるバビロン」や「世の人」をこきおろすのと同じやり口=悪口メインではなく、「組織」に依存しないキリスト者本来の信仰のあり方を伝えてほしいですね。JWの問題点は比較対象として指摘するくらいがよさそうです。

自分が覚醒できたのも、このブログにも書いてきた、こんなどうしようもないエホバの証人相手でも悪口を言わない芯のある宗教者たちとの関わりがあったからです。自分(たち)の目の中の垂木、とあるように、非経験者から悪口を並べ立てられると頑なになる人もいます。


宗教とは、コミットしたことがなければ本当に「知った」ことにはならない、と言われる領域です。それで悪口を言ってこきおろすのは、このブログを含め、酸いも甘いも体を張って知り尽くした経験者たちにお任せください(笑)。

悪口を言うのもかったるくなってきましたが。

日本JW市場①

日本ではキリスト教はマイナーなので、エホバの証人との関わりで初めて聖書に接点があった、という人も多い。

もちろんそれは新世界訳なのですが、エホバの証人はキリスト教ではない、との指摘はあっても、新世界訳は聖書ではない、とまで言う人はいないようで、「独自の聖書」と言われるくらいです。

独自解釈に都合よく訳している、のは事実としても、「聖書ではない」とまで言ってしまうと、その聖書自体がどうなの、新約は旧約をキリスト教に都合よく解釈引用してないの、どこからどこまでがオリジナルで、どこからが加筆なの外典なの、とツッコまれてしまうからかもしれません。


さっそく話を戻します。

エホバの証人はキリスト教に寄生して増殖し、中でもお得意様はカトリック圏です。

シンプルにミサを重視するカトリックは、厳かで雰囲気のある教会で恭しく「イエスの御体に与る」ことで、信者の霊的必要(JW風に言うと)を満たす手法では手堅いようです。

JWは、そのカトリックの悪口や過去の悪行を並べ立て、聖書をテキストや字引きのように使うことがないカトリック信者に独自解釈で議論をふっかけては揺さぶり、勧誘します。

プロテスタントはもともとカトリックから枝分かれしていて、カトリックのような世界規模の単一組織にもなっていないので、悪口が見つけづらい。

そしてプロテスタントも聖書から理論武装しているので、平行線になる。


なかなか話が戻りません。

つまり日本というエホバの証人市場では、特殊な逆転現象が起きています。

エホバの証人から「聖書」を知った人にすれば、「背教者」たちはキリスト教関係者(プロテスタント系)と結託して、エホバの証人の悪口や問題を並べ立て、自分たちの信仰を揺さぶろうとしている、と映ります。

エホバの証人がカルト、少なくとも、ものみの塔自身がかつて定義したカルト要素にブーメランのごとくがっつりあてはまっているのは事実です。

が、そのエホバの証人と同じやり方で「逆勧誘」しようとしている、という印象を与えかねないアプローチは逆効果になる場合があります。


ある牧師はイスラム教について、内部から神学議論が起きて自己改革されるのを待つしかない、と語った。確かにキリスト教側が、異教徒や異端者に対して、現在のイスラム過激主義よりも恐ろしい仕打ちをしていた時代は遠い過去になっています。

ただ、政教分離がむしろ隠れ蓑になってその影響が見えにくい、のはあるかもしれません。極端な例ですが、ブッシュ大統領を称えて子どもを洗脳するジーザスキャンプの動画を見ると、日本の某幼稚園が試みていた教育と重なって見えてしまう。


誰に向けて書いたのかよく分からない内容になりましたが、エホバの証人もすでに「内部から」覚醒者や脱塔者が続出しているので、ほっておけば勝手に自己衰退するでしょう。

真理の贖い

設定はアレンジしてあります。


その子は、奉仕集会やめるとサタンの餌食になる、ハルマゲドンで滅ぼされる、と幼少期から脅され鞭打たれ、離れたくても「サタンの世」でも馴染めずに病んでしまい、呼ばれた時には異様な形相で「エホバごめんなさいエホバごめんなさい」「サタンあなたが勝ちましたサタンあなたが勝ちました」としきりに叫んでいた。


病んだ2世が親への恨みで包丁を手に脅す現場に仲裁に入るなど、似た事例は行く先々で幾度も「扱った」ことはあったが、「彼」を見たときに、これまでとは違う「何か」を直観した。


重い話になるので細かく書きませんが、その通りになった。


宇宙主権論争解釈などというくだらない「真理」がこの子の命によって贖われ、彼の命を贖うものは何もないのか。


たかが、いち新興団体の独自戒律を守るか守らないかで、「エホバ」と「サタン」が人を奪い合っているなら好きにやればいいし、そこに付き合いたければ付き合えばいいが、せめて大人が自己責任でやってることに、子どもは巻き込まないでほしい。



「突如生じた怪物は、宗教を語りながら、本来あるべき人間の喜びや自由を押し潰したこと、声に出せない苦しみをどれだけ理解して寄り添えるか、それが問われていることを意味していたのです」



あるJW系サイトで、同じような「何か」を目にした方の書き込みです。



然り、アーメン
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