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兵役拒否

これをエホバの証人が「真の宗教」とする理由に挙げる現役さんも多い。

それ自体は信教上の自由として、そんなに批判されるものではないと思います。

が、社会責任を考えない原始的小集団のままである、という指摘はあると思います。

聖書には、イエスが士官の奴隷を癒した、コルネリウスがローマ士官の時に受洗した、等の記録があります。原始的クリスチャンの時代は兵役にあえてつくことはなかった、というのはも塔が主張する通りのようですが、聖書そのものに「兵役」を明確に禁じる教えはないと思います。

「剣を取るものは剣によって滅びる」(イエス)

「上位の権威はいたずらに剣を帯びてはいない」(パウロ)

なので、その剣の用い方、ということでしょう。

「殺人」が無条件に悪いなら、国家法に基づいて執行される死刑はどうなのか、という議論もあります。それを言うなら、旧約の神は殺しまくりです。

パクスロマーナの時代がそうであったように、大抵の国では平和的な任務で、しかも非合法殺人はきっちり区別されています。さらに国によっては、政情や任務が変わって、または自分の信条が変わって良心的に軍務を続けられない、という理由でペナルティーなしの普通除隊を認める制度もあり、それを利用するのはエホバの証人になる人だけではありません。

アメリカでは除隊後の恩恵(メリット)も関わるので審査は厳しいですが、軍という厳格な組織さえエホバの証人よりは親切です。自称「愛ある神の組織」では、コミットメント後に自分の考えが変わっても、さらには組織の方が解釈をめちゃくちゃに変えた、勧誘ネタにしていた肝心の予言解釈が見事に外れた、さらには知らされていなかった不正や隠蔽が明らかになった、という理由でも、一律に不名誉除隊ですからね。何様なのか。神様か。

クリスチャンが軍務に就くようになったのは、原始的小集団から脱却し、「神の奉仕者」である上位国家における責任を担い始めてからのようです。

もちろん、その剣の用い方はエホバの証人の都合の良い言い回しを借りれば 「不完全」 ですが、国家や宗教の在り方も過ちから学ぶ途上にあります。

エホバの証人は原始的クリスチャンのように、時代を無視して原始的小集団であることをアピールします。彼らが勤労納税をしない開拓ライフをしても、社会には何の影響もないからそれができます。しかし恩恵はきっちり受けます。権利はしっかり主張します。

結論を言えば、「兵役」を一律に禁じる教えは聖書にはありません。平時に平和的任務に就くことには何の支障もないし、個々の国の政情や、任務に応じて各人の良心で判断すれば済む問題で、大方のクリスチャンもそうしています。社会責任を考えない一律の兵役拒否は、まあ強く批判されるものでもないと思いますが、「真の宗教」とやらの証拠にもならない。


余談ですが、安易なナショナリズムに流されない「地の塩」のようなクリスチャンが軍務に就くことで、一定の抑止にもなると思います。映画「プラトーン」で言うなら、自分はエリアス派です。

「クリスチャンが民間人を殺せるか!」

現実に起きる戦争の中で、信条との狭間で葛藤していた人たちもいたのでしょう。
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信教の自由②

「JW.orgロゴを掲げる、も協会関連法人所有の建造物で集まる」自由

「も協会の印刷物を発行し、配布する」自由


この世に 「真の」 キリスト教など存在するのかどうかは知らないが、キリスト教とはこんなちっぽけな自由に依存するものなのか。

こんな程度の自由がないくらいで、誰が、何で、困るんでしょうね。

JWが大好きな初期キリスト教はユダヤチックな会堂ではなく、個人の家で集まっていた。キリストも2人か3人でもわたしの名において集まれば、わたしもそこにいる、と教えている。彼らが寄付を集めたのは困窮する人のためで、大がかりな建設や、建てれば必要になるメンテナンス、そこに住む特権階級の生活や老後のためではない。


もう一度、ルターを引用します。

「キリスト者はあらゆる者の上に立つ主人であり、ありゆる者に仕える奴隷である、キリスト者は誰にも服することなく、誰にでも服する存在である」

彼の言う 「キリスト者の自由」 は、業ではなく信仰による義認なので、何かを 「する」 か 「しない」 かがどうでもいいってことはないのですが、そこには依存していません。

仏式の葬儀で焼香するクリスチャンもいます。それがその文化に根づいている、故人と遺族への礼節だからです。彼らにとってキリスト者の自由には 「土地のしきたりに従う自由」 も含まれます。

すべてのクリスチャンがそう 「する」 べきってこともないので、キリスト者の自由とは、最低限 「しない」 自由さえ担保されていれば何の支障もないと思いますが、担保されなくても文句は言わない覚悟で受容するのがキリストの磔ですよね。神を愛する自由は誰にでもあるが、その土地の法やしきたりで認められていないことを 「する」 ことでしか自分の神は愛せないと考えるなら、ロシア信者含めて自己責任ではないですか。いつからキリスト教は 「正当なる権利」 や 「法で保障される自由」 を陳情する惨めな宗教になったんでしょうか。


キリストは、律法のスピリットは規定やしきたりに従って何かを 「する」 ことではなく 「神と隣人を愛する」 ことに集約されると教えた。

JWorgのサイトやロゴの使用(今やクレカで寄付集めもできるサイト)

JW印刷物の出版や二次配布

JW建造物での結社集会や寄付集め


キリスト教系の欧米型社会では普通に認められてはいるが、それがどこに行っても正当な?権利としてあたりまえに主張できる世界だとは思わない方がいいし、聖書から読み取れるキリスト者の自由とは何の関係もないと思います。

信教の自由①

「する」自由と「しない」自由

法律上、はっきりした区別があるかどうかはよく分かりませんが、後者の方が広いと思います。日本で 「しない」 自由が認められていないのは 「税金を納めない自由」 くらいですかね。

言い方によっては 「赤信号を守らない自由」 も認められていませんが、こちらは赤信号を突っ切って横断する、という行動が伴うので 「する自由」 になると思います。


「する」 ことで裁かれるより、「しない」 ことで裁かれる方がより重いです。

これはJWにもあてはまるが、JWは「する」ことで裁かれる(排斥される)ものはいっぱいあるが、さすがの彼らも「しない」ことでは裁けない。

「開拓しない」「注解しない」「奉仕しない」「集会にこない」など、霊的レベルの低い人というレッテルは貼られるが、それだけで排斥の事由にはできない。


ロシアで制限されようとしているのも 「する自由」 の方だと思います。


「JW.orgロゴを掲げる、も協会関連法人所有の建造物で集まる」自由

「も協会の印刷物を発行し、配布する」自由


このあたりですかね。これが認められていないのは別にエホバの証人やロシアに限ったことではなく、中国もそうだし、イスラム教国は政教分離すらしていない。


言論(表現する)の自由や、信教の自由に含まれる結社(集まる)や宗教活動(布教する)などの 「する自由」 は無制限ではなく、社会の制約を受けるので、その制約の度合いが国によって違うのは仕方ないです。政教分離をスタンダードとするのはキリスト教欧米価値観で、JWが寄生していくらか増殖できたのもその文化圏です。

もしからしたら、第七世界強国が米英だ、みたいな解釈が気に入らないんじゃないですかね。最後の世界強国をロシアに変更して、アメリカ資本ばかりじゃなくロシア企業にも投資運用すれば気に入ってもらえるかもしれませんね。

やり方に違いはあっても権力者は自らと自らの国の権益を考えるのはあたりまえ、自分たちサイドの価値観を認めない国に陳情の手紙を書け、とはどこが中立なのか。自分たちの権益が第一なのはJWも同じで、自分たちの権益が絡まない陳情や署名活動には加わるなと指導して、それが 「中立」 だと思い込んでいるだけですよね。自分たちの権益が絡まない、少数者の権利のために署名する方が、まだ聖書の精神に近い気がする。


話を戻すと、「しない」自由を制限するなら話は別だと思います。


「ロシア正教会の礼拝に参加しない」自由

「プーチンの肖像に膝をついて拝まない」自由


こういう「しない」自由までが奪われて、JW含む他宗派他宗教の人たちが投獄されたり拷問にかけられたり、なら人権問題にもなるが、現状はJW関係者以外にはどうでもいいニュースです。

国際郵便テロで注目を浴びたいのかもしれないが、世間どころか、JWorgロゴや不動産ビジネスまがいのJW営業路線に嫌気がさして、関心がない現役さんも多いのでは。

手紙

久しぶりに気になる話題が。

ロシアに手紙を書くキャンペーンが発動したらしい。現役さん方のブログを見る限り、ここでも「醒める」と「燃える」の二極が生じているようです。


もはや何語でもいいから手紙を大量に送りつけろ、は直接には何の効果もないどころか、ただの迷惑行為でしかないが、自分が考える「効果」は2つあります。


① ロシアへの挑発

ラザフォードがヒトラーを挑発したのと同じやり方です。中立どころか、星条旗が掲げられている会場で大会を開きながら迫害を煽るかのようにヒトラーを名指しで非難する。今回もロシアを挑発して「現代の試練」を演出して注目を浴びたいのかな。「ナチスの迫害を耐えた」はいまだに宣伝ネタに使い回されるから、新たなネタ作りには格好の機会になるかもしれない。

相手にされないと思うけど。


② ロシア信者へのアピール

指示に思考停止で従うだけの平信者を使った郵便テロ(笑)は状況を悪化させかねず、ロシア信者を本当に気遣っているとはとても思えないが、ロシア信者向けには「状況は悪化しても世界のみんなが応援しています!」アピールにはなりますね。棄教しづらい空気の醸成。


過去のマラウィでも、一党支配の体制では党員カードを買うことは税金を払う意味くらいしかないのに、それさえ拒否するよう指示して迫害を演出したことをレイフランズが指摘している。

でもその時は、確かヘンシェル氏がマラウィ入りして拘留された話を読んだ覚えがありますが、今回は本部から指示を出して「プーチンに手紙を送りつけろ!支部や王国会館の住所は使うなよ?」と平信者にやらせるだけですからね。

まだレットかモリスがクレムリン広場で非難演説を強行して拘留されたら潔いが。

しないだろうな。

今やカネをかけたスタジオで寄付を懇願する、ただのテレビ伝道師ですからね。

共通の試み

「あなた方のあった試練で、世の常でないものはない」 (コリント一10:13)

新世界訳では 「人に共通の(つきものの)誘惑」 となっています。

たとえば、病気。大なり小なり人は病気にかかります。

病気という試練に対処するとは、ざっと思いつくのは↓です。

→ 頑張って治療に専念し、元の生活や仕事に戻ること

→ 回復が全く、またはある程度しか見込めない場合、うまく付き合う方法を模索しながら、限界の範囲内でやりがいを見つけ、前向きに生きる

ところがJWの場合、これに 「集会や布教に参加し続ける」 という試練が加わります。

病気そのものは「世の常」ですが、JW試練は違います。

宗教がやりがいでそれが支えになるならいいのですが、完全に順序が逆です。


失業も同じです。宗教やってようがいまいが、失業は起こりえます。

ところがJWの場合、JW活動を優先するゆえの失業リスク、そしてJW活動を優先できない仕事はどんなに条件が良くても断るべき、という 「誘惑」 がつきまといます。

これらは 「JWにつきものの」 試練であり、誘惑です。

宗教とは、「世の常」 である試練に際して人を支えるものであるはずで、「その宗教につきもの」 でしかない余計な試練を増し加える要求を課すのは、聖書の教えではないようです。

JW試練を人為的に作ることで、それを全く理解できない非信者の家族や友人とは寄り添い合うことができず、JW印刷物や人間関係に依存する仕組みになっている。

も塔自身が語った 「家族や友人から孤立させる」 カルトの特徴でもあります。
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