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悪魔の証人②

彼はイエスを連れて上り、またたく間に人の住む地のすべての王国を見せた。そして悪魔は言った、「この権威すべてとこれらの栄光をあなたに上げましょう。それはわたしに渡されているからです。だれでもわたしの望む者に、わたしはそれを与えるのです。それで、あなたが、わたしの前で崇拝の行為をするなら、それは皆あなたのものになるのです。」


これをJW風に言い換えると↓になる。

トウチタイは、楽園の挿絵(絵に描いた餅)と、そこで手に入るはず(と妄想しているだけ)の贅沢な暮らしのすべてを見せてこう言った。「ワレワレを神の経路と認め、その指示に従うことを誓うなら、これらすべてのものと、そして永遠の命さえあなたのものになると保証しましょう。なぜなら忠実な奴隷として、すべてものはワレワレに委ねられているからです。」


そう、一度限りの崇拝の行為(誓い)でいいのです。

ギリシャ語のアオリスト時制ってやつですね。

ただ一度限りの誓いで、永遠にあなたの命を束縛する。

エホバの証人を辞めようが、その影響から生涯逃れることはできない。


この問いに、はい♪と答えた時点で、あなたは悪魔の証人になる。

神に捧げていると勘違いしながら悪霊の食卓に捧げる諸国民の一人に。

だれでも望む者に永遠の命の権利と特権を与え、奪い去る権威を手にした老人たち。


人は自分の魂のためなら、持っているすべてのものを捧げます。(by 悪魔)

家族も、時間も、仕事も、金も、そう、人生のすべてを。

永遠の命をエサにするこの宗教のために投げうってくれる。


すると、イエスは言われた。「退け、サタン。『あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ』と書いてある。」
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介入しない神

再びマイドラさんの使い回しネタになりますが。

今年の災害支援金が28億円から63億円になりましたよ、の話。

自然災害は終末アピール宣伝に使える格好のネタだったのが、最近は寄付懇願のネタになった様子。人の不幸話を、組織賛美、解釈アピール、そして寄付懇願に、なぜか嬉しそうに使い回すJW老人たち。

にしても、何の具体的な内訳も示さずに、あと35億円寄付してね、ですか。

しかも、災害基金という別枠を作ることもなく、送金させればもうこっちのもの、何にでも使えて使い道も一切公表しなくてよい「世界的な業」に入れてね、ということでしょう。

いよいよ詐欺宗教じみてきた。

もうとっくの昔から詐欺宗教か。


かつての昔、も塔が「寄付を懇願するテレビ伝道師」がどうたら書いていた頃、日本ではそんな番組を見かけたこともないので、調子乗りやすいアメリカ人て単純だから、そんなんでホイホイ寄付しちゃうんだろうな~と他人事のように思っていたが、今や動画を配信して寄付懇願するインターネット伝道師を自ら実演してくれるJW.orgのご老人たち。


マイドラさんのツッコミで共感できたのが↓です。


「人間世界に介入したい神様なら、救援活動を祝福するんじゃなくて災害起こさないようにしてよ!」


キリスト教の頭のいい神学者が2000年、弁神論や神議論をこねくり回しても答えがでなかった問い。全知全能全善の人格神がいるなら、どういう感情でこれ程の惨状を上から眺めているのか?

これが、西洋型人格神宗教の限界ですかね。

JWの出した答えが・・「宇宙主権論争」

「自分の正しさ」を立証するために惨状を放置する利己神。しかも何をもって立証されたとなるのか、よく分からないが、そのジャッジも自分がするらしい。神様なのに、自分の教団の解釈に縛られて災害が起きないよう介入できない割には、災害が起きたら起きたで教団への寄付を懇願する動画をネット発信させることにはお忙しい方のようです。


「エホバ様の御名」のために児童虐待隠蔽さえ正当化し、その魔法の言葉で信者の思考を停止させ、教団に無条件で隷属させる、宗教史上、極めて悪質な部類に数えられるであろう宗教マゾヒズム理論。


目先の寄付欲しさで、そういう安っぽいすり替えが、神や宗教のありがたみを失わせていることに気づかないんでしょう。

こんな詐欺宗教に寄付するより、「この世の窓口」経由で義援金を送った方がましですね。

ということで、有言実行してきます。

お金と律法

現代でも律法を守るユダヤ人はいる。

イエスの時代と同じく、生活に直接の支障が出るのが安息日の律法。

エルサレムに移住した日本人がこんな体験をしたという。

日没で始まる安息日の晩に、同じアパートに住む初老のユダヤ人女性が訪ねてくる。「あなたはユダヤ人じゃないわね?」と聞かれ、そうですが何か、と答えると、ガスが漏れているようなのでガス栓を閉めてほしいとのこと。彼女はユダヤ人なので自分で閉めることができないからだ。

さてこの話から分かるように、律法には抜け道がある。


自分がそれをしなければいい=他人にやらせるのはOKなのです。


だから、お金持ちのユダヤ人は安息日を守りながら快適な生活を送れる。

非ユダヤ人を雇って炊事家事洗濯掃除をやらせればいいからです。


JWの抜け道形式主義と似ています。

自分は献血をしないが、非信者の献血から抽出された成分輸血ならOKとかね。

あと、非信者夫に働かせて稼ぎがよければ、専業主婦開拓ができます。

親のスネカジリ2世も、フリーター開拓ができます。

開拓さえやってれば「王国を第一」にしていると、褒めたたえられる。

さらに父親が非信者だと都合が良く、それを口実に大学にも行けます(非信者親のカネで)。

日本でも、そうやって有名大学を出た高学歴者が支部委員に抜擢されている。

その一方で、1世紀と同じように、貧困層のJWは戒律を守るのに苦労します。

仕事で集会を休めば「王国を第一にしていない」「信仰足りない」「霊性低い」と裁かれる。


結局は、お金なんです。

イエスは、他に生活のつてがなく、「義人」たちに蔑まれていた売春婦にさえ、「そんな仕事に身を堕とすなど信仰が足りない」ではなく、「あなたの罪は赦されている」と語った。

お金さえあれば律法を守って優雅に暮らせる義人たちを救うために来たのではないと。


お金(または金づる)があれば「王国を第一」にして称えられる霊的セレブ=JW義人たち。

そんな彼らが大会で集会で、布教集会を第一にせよ、と貧困信者の罪悪感を煽るように語る。


新約のパリサイ人以下の連中だよね。

愛さない神

妊娠が分かった時、こう祈りました

エホバ、もしこの子があなたを愛するようになるなら

永遠にこの子の母親でいられます



元ネタは見ていませんが、いつもマイナスドライバーさんがピンポイントで抜き出してくれるので、助かります。

もはや記憶も薄れかかっているが、何年か前の大会のお芝居で、やはり妊娠が分かった時、それを伝えるのにヨメがまず一言目に夫に放った言葉。


もし、巡回監督ができなくなるとしたら・・どうする?


素直に子ども授かったことを喜べないんですかね、この宗教。子育てが簡単でないのは宗教やってようがいまいがそうなんですが、巡回できるできないとか、この子がエホバ様を愛するようになるならないとか、荷を軽くするどころか、ホントに余計なストレスを増やす宗教ですね。

というか、子どもの方はもっと迷惑ですよね。

生まれる前からこんなこと言われてるんだから。

親は選べないというが、この宗教の親だけはなんとかお断りできないものか。


「自分を愛してくれる者を愛したところで、あなた方にどんな報いがあろうか。徴税人でも、同じことをしているではないか。」


自分を愛さない者は愛さないどころか、殺すのがJWが宣伝するエホバ様。

徴税人以下の神。

旧約はどうかしらんが、イエスが示した父ではないよね。

イエスが何を教えようが、子どもを殺す命令を与え、それに従って称えられた親がルーツで、その上に成り立つキチガイ宗教という点では、キリスト教もエホバの証人も変わりはなく、互いが互いを背教だの異端だの罵り合っても、同族嫌悪でしかない。


自分が愛さないだけでなく、腹を痛めて生んだ母親にも、電話に出るなと命令する神。


まだキリスト教には2000年かけてこねくり回してきた神学の蓄積があるから、エホバの証人のような無学で幼稚で暴力的な字義解釈をこの現代でしなくなってはいるが、エホバの証人の方は組織衰退の危機感からか、排斥の脅し、ハルマゲの脅しがますます加速しているような。

どんなカルト教団でも、絶対についていくコア信者は残るから、それでいいんでしょう。

罪業意識

絶対を求めてしまう性はどこから来るのか。

その一つが、無常観です。

仏教でも教わりますが、この世の事象は互いに関わりながら移りゆく、相対的なものだからです。聖書でいうと、伝道の書あたりですね。

そういう意味で「新しいもの」は何もなく、すべてはむなしい、のです。

そこで、絶対に正しく、かつ、それが未来永劫に不変であるものが、欲しくなります。


もう一つが、罪業意識です。

特に親鸞はこれがすさまじく強かったらしく、これもパウロが語った「わたしの肉に善は宿っておらず、善をなそうとの意志はあるが、実行はできない、なんと惨めな人間だ」と似ています。

これが、前記事で引用した親鸞思想の根底にあるともいわれ、裏を返せば、弥陀の本願がまことでないなら、釈尊の言ったことも、善導の教えも、師の法然が語ったことも、すべてが「虚言」になります。


自分は弥陀の本願に一切をゆだね尽くす、それが偽りとしても、自らの業(意志や力)で善行や徳を積んでこの身の宿業を変えることもできない、ただひたすら信心のみで念仏を唱える他はない自分がそれで地獄に堕ちようが、「地獄は一定すみぞかし」なのです。


これもJWと比較すると、この宗教が偽りならどこに真理はあるのか、楽園(浄土)も偽りなら、どこにも希望はないのだから、ここに賭けるしかない、という心情に表向き似てはいますが、パスカルの賭けを薄っぺらく焼き直しただけのJW打算信仰には、自分にはこの信心のみがすべてであり、ハルマゲでこの身が滅ぼされようがそんなの関係ねえ、との覚悟は1ミリたりともないでしょう。


自分は、そういう信心を、否定しません。

そういう人たちを「救う」ために根強く存在する各種宗教も、否定しません。

無常観や罪業意識は、親鸞特有のものではなく、その時代に広く存在したものであり、結局、人間とはその時代の価値観やその影響から逃れられない生き物です。

イエスもその一人です。もし、イエスがその時代の価値観やその影響から超越した存在なら、それは「人間」とは言わないのです。(アドルフ・フォン・ハルナック「キリスト教の本質」より)


ただアブないのは、その無常観や罪業意識をひたすら煽り、利用して、自らの承認欲求を満たそうと、教団にカネとヒトを集めて支配することしか頭にない生きた人間(たち)です。

自分が経験した団体を反響版にして、気が向いたら細々と記事を書いているブログです。
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