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新たなる掟

「友のために自分の魂をなげうつこと、これより大きな愛を持つ者はいません」


これがイエス曰く、新しいおきてのようですが、「自分の神」のためじゃなく、「友」のために魂をなげうつ愛、これを超える確からしい真理があるんでしょうか。

旧約律法ばかりに偏重して、「宗教」や「信条」のために命をなげうつ、なげうたせることしか頭にない。そういう教条主義や浄化主義はイエスが終わらせたはずなのにね。

輸血拒否も自爆テロも本質は変わらない。

唯一正しい信条(これが正解)と言い張ったところで、「神の目に正しい」 と聖典から自分や他人が解釈すること、宗教のお偉いさんに教え込まれること、を信じているにすぎない訳で。

そういうのは相対的(お互い様)だよね、ということかと。


律法(聖典)こそが絶対ですか?

その律法の解釈すら49通りあるとユダヤ人も認めてますが。


仮に、全人類の誰が読んでも解釈の余地がない 「完全なる戒律集」 がこの世に存在したところで、人を罪に定める律法(ルール)では人を贖えず、奴隷となる子どもを生み出すにすぎない。

それが、新約が旧約とセットで言いたいことですか。


イエスが剣を投じるために来たとは、自分が所属する枠組み(宗教)の伝統教義戒律に固執する人たちからの風当たりですよね。

自分たちが排他的・独善的・教条的になって買う、まっとうな反感のことじゃない。


聖書研究者の頃はそのスピリットが多少はあったのかもしれないが、ちょっと組織だったくらいで、その狭い世界で自己の組織や教義の絶対視を要求して裁いて、同じことをやってどうすんだ。

マトリョーシカ人形のように歴史は繰り返すから仕方ないんでしょう。


「私たちがある信条の擁護者になるとき、何かが死ぬ・・つまり、神を信じているのではなく、神について自分の信じていることを信じているにすぎない」
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相対的真理

そんなもんあるか(笑)

宗教間の交流を支持するたちは、多くの場合、だれも「真理を教えているのはこの宗教だけだ」とは主張できない、と考えます。実際、「今日見られる諸問題の多くは諸宗教の排他主義が原因で生じている」と言うかもしれません。(JWorg)

これも、その通りなんじゃないですかね。

その人たちは、真理が相対的だと言っているんじゃなくて、人が知りうる(宗教上の)見識や概念、人がそれらを言葉で表現しうる説明はすべて相対的だって言っているんですよ。

それが宗教者の慎みってもんでしょ。

そんなの空しい不可知論だ!とでも言いますか。


じゃあ新世界訳を引用しますよ。

「すべての人が偽り者であったとしても、神は真実であることが知られるように」

「神の富と知恵と知識の深さよ、その裁きは何と探りがたく、その道は何とたどりがたいものなのでしょう」


これを不可知論と言うなら、聖書は不可知論を教える本ですから。

人としての慎みと限界をわきまえて、排他的・独善的にならないようにね。


そのような意見とは対照的に、エホバは「真理の神」と描写されており、ご自身のことを「わたしは変わっていない」と言っておられます。(JWorgさんの反論)


聖書にそう書いてあるから何なんですかね。なら他にも引用しましょうか。

「これは、水と血によって来た方、すなわちイエス・キリストです。水だけでなく、水と血とをもって来られたのです。そして、証しをしているのは霊です。霊は真理だからです。」

「わたしは道であり、真理であり、命である。」


聖書で語られる真理とは、「地の高貴な者たち」が都合よく思いつく宗教解釈でも独自戒律でもなく、神、キリスト、御霊ですよ。でも3つの真理ではなく、唯一の真理が存在する。それを「さんみいったい」と言いたければ言えばいいし、その単語が嫌いなら使わなければいい。

そんな表記のチョイスに真理は左右されないので安心しましょう。


「宗教の限界を知らぬ者が宗教の変革を試みても、必ずや劣悪な変種になる」

これも、真理ですねぇ。

宗教間の交流

何がいけないんですかね。

宗教間の交流の著名な推進者ダライ ・ ラマは、「主要な宗教上の伝統はどれも、基本的に、愛、同情、許しなど、同じメッセージを伝えるものである」と述べ、さらに、「重要なのは、それらの特質が日々の生活の中で示されることである」と語りました。(JWorgより)

そういうことで、いいんじゃないですかね。


でも狭量で嫉妬深い宇宙唯一絶対排他神 ≪WTねたむ君≫ が運営するwebサイト「JWorg」によると、それだけでは十分ではないらしい。

真の信仰は,単に善を促すだけのものではありません。(中略)神から求められている事柄を正確に知らなかったため、その熱意 ― および信仰 ― は、実のところ、むなしいものとなっていたのです。


へー、神から求められている正確な事柄って何ですか?

破門された家族を永遠に忌避することですか?

輸血を絶対悪だと子どもを洗脳して見殺しにすることですか?

JWトウチタイの異例で奇妙な指示にも絶対服従することですか?


そんなくだらないことが、イエスが教えた隣人愛よりも重要なんですかね。

隣人愛だけでは十分ではない!偉大なる神 (ねたむ君限定) を愛するのだ!

そこに何の違いがあるんですか?サマリア人の譬えから何を学んでいるんですかね。

新約的パリサイ人は永遠に学ぶことはないのか。

それも含めて、真理ですね。

日本JW市場②

確か3年くらい前にも書きましたが、キリスト教圏ではない日本JW市場では、エホバの証人から「聖書」を知った、という事実が足かせになる場合があります。

エホバの証人は「自分にしてほしいと思うことは、他の人にもしなさい」というイエスの教えをひっさげながら、見知らぬ人の敷地に立ち入ってインターホンを押す、という自己矛盾した活動をしています。(宗教目的で見知らぬ人に押しかけきて「ほしい」と思っている人などいない)

人の迷惑お構いなく、「家から家」という独自の字義解釈を一方的にアピールしているだけで、福音を語っているのはエホバの証人だけではありません。

ただ、キリスト教関係者もそれなりに頑張ってはいるのでしょうが、ここ日本では、エホバの証人から「聖書」を知ってしまった人に対しては、彼らより先にその人に「普通のキリスト教」を伝えることができなかった、という事実は存在します。


といっても「誰」きっかけで聖書に興味を持つようになったのか、に囚われる必要もない。

カトリックの人との接点がきっかけで聖書に興味を持つようになった人は、ローマ教皇に永遠の忠誠を誓わなければならないんでしょうか。


もしからしたら、今でも1万人に一人くらいは、JW訪問に感謝するお人好しな方もいるかもしれませんが、カトリック信者にもいろんな人がいるように、たまたま、わりと話の分かるエホバの証人と多少意気投合したところで、「その人」に感謝するのはまだいいとして、ローマ教皇だろうが、JW組織だろうが、無条件の服従を誓わされる筋合いもない。


「組織」とやらを必要以上に悪者にしなくていいし、特別視しなくてもいい。

過去のものみの塔が言っていることを再び引用します。

『こうして非常に多くのふさわしくない魚(JW)が集められましたが、それらの魚は神の是認を受けませんでした。しかし少なくとも、数多くの非キリスト教徒(日本人)が聖書に、また腐敗したものであるとはいえ一種のキリスト教に接することができました』(1997年も塔)

単純に、それだけのことです。日本ではこのブーメラン現象が起きています。


それでキリスト教関係者の方々には、エホバの証人が「大いなるバビロン」や「世の人」をこきおろすのと同じやり口=悪口メインではなく、「組織」に依存しないキリスト者本来の信仰のあり方を伝えてほしいですね。JWの問題点は比較対象として指摘するくらいがよさそうです。

自分が覚醒できたのも、このブログにも書いてきた、こんなどうしようもないエホバの証人相手でも悪口を言わない芯のある宗教者たちとの関わりがあったからです。自分(たち)の目の中の垂木、とあるように、非経験者から悪口を並べ立てられると頑なになる人もいます。


宗教とは、コミットしたことがなければ本当に「知った」ことにはならない、と言われる領域です。それで悪口を言ってこきおろすのは、このブログを含め、酸いも甘いも体を張って知り尽くした経験者たちにお任せください(笑)。

悪口を言うのもかったるくなってきましたが。

日本JW市場①

日本ではキリスト教はマイナーなので、エホバの証人との関わりで初めて聖書に接点があった、という人も多い。

もちろんそれは新世界訳なのですが、エホバの証人はキリスト教ではない、との指摘はあっても、新世界訳は聖書ではない、とまで言う人はいないようで、「独自の聖書」と言われるくらいです。

独自解釈に都合よく訳している、のは事実としても、「聖書ではない」とまで言ってしまうと、その聖書自体がどうなの、新約は旧約をキリスト教に都合よく解釈引用してないの、どこからどこまでがオリジナルで、どこからが加筆なの外典なの、とツッコまれてしまうからかもしれません。


さっそく話を戻します。

エホバの証人はキリスト教に寄生して増殖し、中でもお得意様はカトリック圏です。

シンプルにミサを重視するカトリックは、厳かで雰囲気のある教会で恭しく「イエスの御体に与る」ことで、信者の霊的必要(JW風に言うと)を満たす手法では手堅いようです。

JWは、そのカトリックの悪口や過去の悪行を並べ立て、聖書をテキストや字引きのように使うことがないカトリック信者に独自解釈で議論をふっかけては揺さぶり、勧誘します。

プロテスタントはもともとカトリックから枝分かれしていて、カトリックのような世界規模の単一組織にもなっていないので、悪口が見つけづらい。

そしてプロテスタントも聖書から理論武装しているので、平行線になる。


なかなか話が戻りません。

つまり日本というエホバの証人市場では、特殊な逆転現象が起きています。

エホバの証人から「聖書」を知った人にすれば、「背教者」たちはキリスト教関係者(プロテスタント系)と結託して、エホバの証人の悪口や問題を並べ立て、自分たちの信仰を揺さぶろうとしている、と映ります。

エホバの証人がカルト、少なくとも、ものみの塔自身がかつて定義したカルト要素にブーメランのごとくがっつりあてはまっているのは事実です。

が、そのエホバの証人と同じやり方で「逆勧誘」しようとしている、という印象を与えかねないアプローチは逆効果になる場合があります。


ある牧師はイスラム教について、内部から神学議論が起きて自己改革されるのを待つしかない、と語った。確かにキリスト教側が、異教徒や異端者に対して、現在のイスラム過激主義よりも恐ろしい仕打ちをしていた時代は遠い過去になっています。

ただ、政教分離がむしろ隠れ蓑になってその影響が見えにくい、のはあるかもしれません。極端な例ですが、ブッシュ大統領を称えて子どもを洗脳するジーザスキャンプの動画を見ると、日本の某幼稚園が試みていた教育と重なって見えてしまう。


誰に向けて書いたのかよく分からない内容になりましたが、エホバの証人もすでに「内部から」覚醒者や脱塔者が続出しているので、ほっておけば勝手に自己衰退するでしょう。
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