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沈黙の組織

一瞬だけ世間のニュースにもなった、グアテマラ事件。

も塔の徹底したダンマリ作戦で、見事に忘れ去られようとしている。

もともと世間では、輸血や武道拒否などのカルト教義で多少話題になった程度で、JW自体がその存在をほぼ忘れ去られて、何の関心も持たれていない訳だが。


この際、も塔がインチキ組織だとかそんなことはどうでもよい。

エホバ様は不義な方ではないので御名に示した愛を忘れたりはしないんだよね。

自分は忘れないが、自分の信者には早く忘れてほしい解離性障害のカミ様らしい。


彼女はインチキ組織だろうが洗脳されていようが、その組織に文字通り命を捧げ、形容しがたい程の恐怖と苦痛の中で息絶えたのではないか。

無謀無思慮の身勝手な自己満足布教だろうが、危険地域で狙われようが、金欠組織のコストカットが万物の創造者の御意志であり、自前のiPadをひけらかしてJW.orgのくだらないコンテンツを見せて回ることが人を永遠に救うと本気で信じていたのではないか。

信者にコストカットを懇願しながら、信者一人も救えない、哀れで惨めな全能神。

グアテマラには行ったこともないが、臓器売買や人身売買も闇で行われている途上国では、人ひとりの命にiPadの値段さえつくのだろうか。

それが救いがたく愚かなことだろうと、彼女はそれに命をかけたんじゃないのか。

なら、せめて彼女が命をかけてまで見せて回っていたJW.orgで、何も言わないのか。


反社会的組織さえ、やってることの是非はともかく、組織に忠義を尽くす者には相応に報いる。だから、やってることの是非はどうでもいい。その最低限の礼節もないのか。


エホバの証人の広報担当者によると、布教活動は日本国内で行われているものと同じで、街頭、または個人宅を訪問してパンフレットを渡すなどして行うという。

「木本さんもそうした方法で布教していたと思われます。木本さんがグアテマラに渡っていたことは、こちらでは把握しておりませんでした」



今のイチオシ布教はiPadを見せびらかす方法じゃなかったか?

松永、お前は広報なのに、新聞に載ったあの子の写真も見てないのか。思われます、だと?


この件で「エホバの証人」をネットで擁護した人に聞きたい。

パウロのように、命の危険を冒しても世界中で宣べ伝えることがエホバの証人の本懐だ。彼女はエホバの証人こそイエスの預言を成就していることを立派に証しした尊い犠牲だ。

もう一度言う。そんなことの是非はどうでもよい。あなたが本気でそう思うなら明日にでも、世間にどれだけ無思慮無謀と非難されようと、中南米などと生ぬるい場所ではなく、イランやシリアに行ってその命を信じる神に捧げるがよい。日本中のメディアが取り上げてくれるだろう。

そんなくだらないことで議論したいのではない。


聞きたいことはただ一つ。

ではなぜ、あなたが神に唯一是認されると信じるその組織は、新聞やテレビ、日本のメディアが揃って報道したこの事件のことを何も語らないのか。なぜ、あなたと同じことを堂々と語って彼女を褒め称えないのか。神はあなたを忘れず、わたしたちもあなたを忘れたりはしないと。


誰か、答えてくれ。
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白い墓

メディアの取材には最低限の受け答えはしているようだが、公式にはお決まりのダンマリのようですね。パウロは名前を挙げて祈っています、その手本に倣いましょうとか教えていたが、公式には何のコメントもないから、遺族も祈ってさえもらえない。

おそらく、排斥者のごとく、会話にすることさえタブーだろう。

このすべてが、とってつけた仮面のような笑顔と、上っ面の「クリスチャン愛」の名のもとに、王国会館という宗教サロンで繰り広げられているであろうことは想像に容易い。

メディア取材への最低限の受け答えも、「その人が自分で活動していただけなので、わたしたちはその人がそこにいたことも知りません」という、いつもの逆否認定型文のみ。

内向きには指導に従え、服せと洗脳するが、その指導に応じて布教に出かけてトラブルが起きても、外向きには本人が自分でしていたことだから組織に指導監督保護責任はない、と切り捨てる。

世のブラック企業と言われる組織さえ、この悪質カルトよりは健全に思えてしまう。

地元の長老も、大岩の陰だとかぬかしているらしいが、支部の指示に犬のように忠実に、仮に取材されても、支部の広報に問い合わせてくれと逃げるだけでしょう。

仮に自主・自費だとしてもお前ら奉仕委員は推薦はしたはずだよね。

支部や長老の指導も受けず、了解も得ず、連絡もせず、本当に自主的に勝手に移動したら、開拓者とかの特権は削除するんだろ?この二枚舌組織が。


表だけ白く塗られた墓の下に横たわるのは、恐ろしく冷酷な組織という本性と、その組織に葬られ、または自ら命を捧げた者たちの物言わぬ屍。

自己責任?

Yahooニュースでは、こんなエホバの証人相手でも宗教批判をせず、宗旨が違うからこう表現するしかないのですがと前置きしながら、ただ人の命が失われたことに、ご冥福をお祈りしますと良識あるコメントをしている「世の人」もいる。

「良識ある第三者」を装った信者コメントらしきものも見受けられますが。


愛ある組織の方は、「消極的な話題」にはいつものようにダンマリでしょうね。

一方で、おそらく内情を知っている信者か、元信者と思われるが、こういうニュースには頑なに沈黙を守る組織に、無責任だと怒りの声を上げる人もいる。


若者には外国語を学びましょう、海外(途上国)に行きましょう、こんな素晴らしい体験ができますよと煽りビデオまで作るが、犯罪に巻き込まれれば自己責任。

エホバの証人の身勝手な信条だとしても、「エホバ様の記憶の中で生き続け、楽園でお会いできることでしょう」の言葉すらかけてもらえない。

本当に救われない宗教だ。


人が死んだことを批判のネタにしたくなくても、内情を知る人には、危険な途上国での無謀無思慮な自己満足布教に若者を駆り立てる無責任組織への、残念無念の感情が生じるのでしょう。

結婚と離婚②

信者でない人が離れて行くなら、その離れるにまかせなさい。兄弟にせよ姉妹にせよ、そうした事情のもとでは隷属の身ではありません。


結婚と離婚についてJW並みに細かい規定があるカトリックは、これを離婚の根拠とします。JWは「イエスの教えはどうなるんだ!」と言いますが、イエスの言葉は、律法を守るユダヤ人同士のヤハウェ信仰に基づく婚姻に言及したもので、そもそもが、キリスト教信条に則って(神の名において教会で)なされたのではない、双方が「不信者」時代の婚姻は無効を宣言できる、という解釈なんですね。

パウロ解釈としては、自分もそっちが正しいと思います。隷属の身ではない、とまで言っていますから。文脈とか時代背景とか一切無視の無教養JWはイエスの教えとの言葉上の矛盾を解消するために、パウロは「別居」について語ったのであり、離婚ではないと現代アメリカ解釈します。

ローマの婚姻法のことまでは知りませんが、そんな、今でいう「別居」と「離婚」に区別があったとは思えませんが(笑)。日本にも、その法律上の区分は存在しません。

別居まではできるが、離婚はだめだよとか(笑)。

リコンがだめならだめで、それをだめだと言えばいいだけでしょう。


一昔のJWは、法律上の離婚にも強く否定的で、裁判に持ち込むまで抵抗しろとされたこともありますが、仮に「不信者」と法律上の離婚が成立しても、その後は、相手不信者がJW基準の姦淫(法律上離婚した不信者がまっとうなお付き合いで再婚しても「姦淫」にあたる・・非信者を徹底的にバカにしたふざけた話です)を犯さない限り、信者との再婚さえ許されません。


はっきり言ってパウロの発言は参考程度なので、細かい解釈はどうでもいいです。

パウロ本人も結婚については、主から何の命令も受けていない、主ではなく、わたしが言うのですが、と前置きしているので、私見なんです。

聖書は安易な離婚は勧めていない、これは事実で、これで十分と思います。イエスの発言も「モーセ」による離縁制度の安易な乱用に対するもので、今後、人間社会で生じるであろうあらゆる文化事情においても万人を拘束するルール作りなんか、意図されてないんですよ。

パウロが「そうした事情」と語ったように、結婚とは、本人たちにしか分からない事情があります。だからこそ神より他は2人だけの、神聖な関係です。それをやむを得ない事情で解消するとしても、人を裁かず、その人の良心を信じて受け入れてあげるのがイエスが説いた精神ですよね。

信者間の離婚を基本は認めないカトリックも、「やむを得ない事情」を緩和して、無効申請も簡略化すると現教皇が宣言したらしいですが、「権威が認めない限り」を譲ることはしません。


こういう場合は再婚が許される、許されない、しかもそれを、無教養JW組織の教科書やお手紙、という偏った情報のみで教化された、デリカシーのかけらもないJW長老が無神経に尋問して裁く・・結婚は神聖だからと言いながら、その神聖な関係にお粗末に立ち入りすぎなんですよ。

イエスの言葉だけを部分的に濃し取ってルールにして、肝心のイエスが教えた精神を否定する、言葉そのもの、または言葉の解釈が独り歩きして、それを語った人より偉くなる一例です。

「ぶよを濃し取り、らくだを飲み込む」権威とルール大好き人間たちですね。

結婚と離婚

聖典を残さなかったイエスに反して、聖典をイエスより偉くしてしまう・・ヒトの言語文字を権威(ルール)化することの弊害に、家庭問題があります。

JWは離婚の唯一の根拠を淫行とします。

その「ルール」の根拠が、イエスの言葉です。


淫行以外の理由で妻を離婚して別の女と結婚する者は、姦淫を犯すのです


仮にこれをルールにしても、何を「淫行」とするのかさらに細かいルールが必要になります。誰と誰が何をどこまでどう触ったのか(笑)性的結合はあったのか(笑)結合がなくても性的刺激や性的興奮にあたるのか(笑)など、JW審理委員のおじさんたちが密室でセクハラまがいの尋問をするのもそのためです。

本題に戻りますが、律法の一字も過ぎ去らないと教えたイエスは、律法の精神に反する行き過ぎた伝統のルール化を否定したのであり、イエスの教えそのものは律法に基づく当時のユダヤ人信仰の枠組みの中で語られたものです。

その枠組みの中での理由が、ということです。

律法下のユダヤ人には、異宗婚は想定されていません。

旧約では、異教との混合が背教として叱られることはあっても、ヤハウェ信仰そのものから改宗した、棄教した、というケースには触れられていません。

だから戒律違反者にはこのペナルティーね、という規定はあるのですが、ヤハウェ信仰そのものを否定して、改宗(棄教)したいとまで言い出したケースをどう「扱う」か、の規定はありません。

親に不従順な者は死刑ですから、イスラム教と同じで死刑か、よくてユダヤ人コミュニティーからの永久追放でしょう。

配偶者の片方がそうなった場合の婚姻関係はどうなるか、なんて規定も、想定もされていないんですね。そういう枠組み内での婚姻について、イエスは語ったにすぎません。


これがキリスト教時代になると、状況が全く異なります。

特に、最初期クリスチャン時代はテモテのような「2世」よりも、異教信仰から改宗してクリスチャンになった人メインなので、配偶者の片方だけがクリスチャンになるケースが出てきます。

さすがのパウロも、不信者相手でも安易な離婚は勧めずに、パウロに従う現代JWがしているように、とにかく改宗させろと教えます。当時だから仕方ないんですが、不信者徹底断罪のパウロには、互いの宗教上の立場を尊重する現代の宗教的寛容の概念はありません。では相手が改宗に応じず、お前たちみたいな自分(の信仰)第一人間と暮らすのはもう限界だ!となったらどうするんでしょう。


信者でない人が離れて行くなら、その離れるにまかせなさい。兄弟にせよ姉妹にせよ、そうした事情のもとでは隷属の身ではありません。

続きます。
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